満ち潮のロマンス
縁側に腰かけてお茶を淹れてくれている先生を待つ。
庭先のお日様のよく当たるところで黒猫が丸くなって眠っていた。

お茶を運ぶこっちに向かってくる静かな足音にもどきどきしてしまってる。

「お待たせしました。どうぞ」
そっと横に置いて、先生も少し距離をとって隣に座る。

「あ、ありがとうございます、これよければこの間のお礼に。今更なんですが…」
「あぁ、それでわざわざ、ありがとう。一緒に頂きませんか?」

私の方に顔を向けて静かに笑う。
先生はこの笑顔が癖なんだろうなぁ優しい顔。

「猫ちゃん帰ってきたんですね」
「えぇ、あなたが言ったようにあのあと何事もなかったように帰ってきました。」

「良かったぁ可愛いですねぇ毛並みつやつやで」
「捨て猫だったんですよ。もうガリガリのチビで」

聞こえていたのかこっちを向いてにゃぁと小さく鳴いてから軽やかにどこかに歩いていった。

「あっ!そうだ!」
「?どうしました?」
「あの、ちょっと前に家で本棚を片付けていたんです。そしたら藤堂義嗣って。前に私読んだ本があって。
あの、同じ名前だなあなんて思ってたんです。そしたら、あの、原稿用紙が…飛んできて…」



「…あぁ、それは僕だね。」

ちょっと違う顔。恥ずかしそうな困ったような複雑な。可愛い。

「作家さん…だったんですね…」

原稿用紙を掴んだ時にやっぱりなんて確信もあったけど、でも。

「びっ、っくりしたんですよぉ!まさかって思ってて、でも」
「…でも?」
「あっ、えーっと……それを口実に…同姓同名の作家が居ました、なんてネタ言いに逢いに行けるなぁなんて…邪な考えが…あって…」

あぁ、もう。私はなんて事を言っちゃってるんだ!
恥ずかしくて下を向いてしまう。


「あはは!ヨコシマ!ですか」
「も、もぉ~笑わないでください…すみません変な事言って…」
「いえいえ。
僕もあったんですよヨコシマな考え。」
「え?」

ぱっと先生の顔を見ると穏やかな笑顔で私を見ていた。


あぁ。私この人が好きなんだ。

瞬間ふとそう思ったら体が熱くなっていくのに気がついた。


「普段は名前を聞かれても名字しか言わない。正直言うと騒がれるのも面倒でね。
でもあなたには気付いて欲しかったんです。それで言ってしまった。何でもいいから切っ掛けが欲しかった。また逢えて良かった」

体が熱い。好き。また思って心が騒ぐ。


「そ、そんな!逢いたかったのは私のほうで…」
「でも君、名前を言わなかったから、嫌なんだなと思ったんですよ。」
「ぇ?名前?い、言いました…よ?」
「下の名前です」
「……ぁ!あぁ!ふふっ」
「何ですか、その笑い」
そう言って先生もつられてちょっと笑う。

「あの時黒猫の話してたの覚えてます?居なくなったんだぁって。
私の名前、美衣って言うんです。
また猫みたいって笑われるんじゃないかって恥ずかしくなっちゃって」

そう言うと先生は豪快に声に出して笑った。

「ほら、笑うじゃないですかぁ」
「ごめん、ははっ」
「もぉ!」
「漢字はどう書くんですか?」
「美しい、に、衣、です…この説明も恥ずかしくって」
「可愛い名前ですね」

この人はお世辞なのか何なのか、簡単に私を喜ばせる言葉を使う。
私はその度にちょっと期待して心がどんどん騒がしくなってしまうんだ。

< 5 / 5 >

ひとこと感想を投票しよう!

あなたはこの作品を・・・

と評価しました。
すべての感想数:0

この作品の感想を3つまで選択できます。

この作家の他の作品

公開作品はありません

この作品を見ている人にオススメ

読み込み中…

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop