Fly*Flying*MoonLight
分 PM1:45 社長室
なに……この……張り詰めた感じ……。初めて見る、こんな和也さんは。
「……和……」
言いかけて、ここは会社だった、と気づいた。私は俯き加減にお盆を持ったまま、中に入った。
ソファには、男性が一人。五十歳代ぐらい。少し小柄だけど恰幅のいい身体に仕立てたスーツ。高そうな金の腕時計。腕を組み、イライラしたように窓の方を見ていた。
和也さんが、お客様の前に座る。
私は、失礼します、と頭を下げ、コーヒーカップとお茶菓子受けをテーブルに置いた。
――ガシャン!
……とつぜん、カップが倒れる音がした。
「お、お前……っ!」
「は?」
顔を上げる。あ、お客様のコーヒーがこぼれてる。カップをもとに戻し、お盆に載っていたふきんでテーブルを拭いた。
「大丈夫ですか?」
「……」
返事が無い。ふとお客様を見ると……
……目を見開き、真っ青になっていた。ホラー映画でも見たかのような、表情。
……私を見てる?
「あの……?」
私の声に、はっとしたように、お客様が言った。
「あ、ああ、すまない、大丈夫だ」
ポケットからハンカチを取り出して、汗を拭いてる。
「コーヒー、入れ直してきますね」
「いや! このままでいい!」
え?
……この方、少し、震えてる……よね?
(……でも、お会いした事、ないんだけど……)
首を傾げながら、和也さんの方を見ると……
(うっ……)
……こちらも能面みたいな、顔になってた。無表情。
(わ、私が悪い……のかしら……?)
でも、初対面だし……。
しばらくの沈黙の後、お客様がやや引きつったような笑顔を見せた。
「……私は、和也の叔父で、武田 譲司、だ」
……叔父さん? 私はぺこりと頭を下げた。
「私、第一秘書美月の補佐をしております、内村と申します」
……さっき、こう言えって言われたのよね……美月さんに……。
「……以前、お会いした事はあったかな」
「……いいえ、今初めてお目にかかりますが」
武田様が、ほっと安心したように息を吐いた。
「すまないね、君によく似た人を知っていたもので」
「はい……」
内心首をかしげながら、お辞儀をして出て行こうとした時……
「……ここに、いろ」
「え?」
……和也、さん?
無表情。でも、瞳だけがぎらついていた。
私は、お盆を脇に抱えて、和也さんの席の後ろに立った。武田様が嫌そうな視線を私に投げた。
「……それで、今さら俺にどうしろと言うのです?」
和也さんが会話を再開した。武田様の表情が変わった。
「……本家に顔を出さないつもりか? 当主の喜寿を祝うパーティーだぞ」
「……」
当主? 喜寿? パーティー? 私は目を丸くした。
……よくわからないけど……喜寿ってことは七十七歳のお祝いだから、和也さんのおじいさん、おばあさんぐらいの方かなあ……。
「仕事の都合がつけば、顔を出します。それでいいですね?」
武田様が舌打ちをした。
「……っ、相変わらず、生意気な……」
武田様が私を見た。
「家族の集まりに顔を出さないなどと、不義理にも程がある、と思いませんか」
「……」
「内村……さんと、言ったかな。あなたの、ご家族は?」
「……両親は私が物心つく前に事故で亡くなりましたし、育ててくれた祖父母ももういません。ですから、家族と呼べる人は、もう……」
「そうか……悪い事を聞いたね」
「いえ、お気になさらないで下さい」
……正確には、ちょっと違うし。私は、おばあちゃんを思い出した。
和也さんが武田様を睨みつける。
「……内村の事は、もういいでしょう。他に御用が無ければ、お引き取り下さい。俺もヒマではないので」
武田様の頬骨あたりに、赤みが増した。
「……ったく、こんなヤツのどこが気にいったのか……」
武田様が立ち上がる。和也さんも立ち上がった。
「……生意気な口を叩くのも、いい加減にした方がいいぞ、和也」
「……」
「お前には敵が多い事ぐらい、自覚してるだろう。『あのような目』にあったぐらいだからな」
和也さんの気配が一気に暗い色、に変わった。鳥肌が立つ。
(……だめ、このままじゃ闇を引き寄せるっ……!!)
「……あの!」
武田様と和也さんが、はっとしたように私を見た。
「し、社長は、敵は多いかもしれませんが、味方も多い方です。だから、きっと大丈夫ですっ!」
言葉に光の魔法を混ぜる。シャボン玉が割れるように、闇の気配、が消えた。
武田様が、ふっと自嘲気味に笑った。
「……なるほど。いい部下は持っているようだな」
「……」
失礼する、と言い残して、武田様が社長室を出て行った。和也さんの顔色は、……悪かった。
「……楓?」
ぽつり、と和也さんが言った。
「……あ」
ふと、我に返る。テーブルにお盆を置いて、社長室の四隅に携帯スプレーでミストを撒き、浄化のまじないを唱えてる私、がいた。
……身体が勝手に動いてた。
「す、すみませんっ、つい浄化しちゃって……」
「……浄化?」
虚ろだった和也さんの瞳に、光が戻った。
「……この部屋に充満していた悪意を祓いました」
私は和也さんに説明した。
「こ、このスプレーはホワイトセージというハーブの成分を濃縮したものです。浄化の作用があります」
「……」
「その……悪い気を浄化するために、いつも持ち歩いてて……」
「……」
「……あ、あの……」
私は和也さんの瞳をまっすぐ見た。
「私、上手く言えませんけど……」
「……」
背伸びして、手を伸ばす。和也さんの頭をなぜなぜした。和也さんの瞳が大きくなる。
「……大丈夫、です」
「……か、えで……?」
いつもと違う……張り詰めたような表情を、なんとかしたいって、ただそう思った。
「……私が、あなたを、守ります」
……口が勝手に動いてた。
……和也さんは、しばらく硬直したように動かなかった。
ただ……瞳だけが、今まで見た事のない色に染まっていた。
「楓……」
和也さんの右手が、ゆっくりと上がって、何か、を確認するかのように、私の左頬に触れた。
和也さんが、じっと私の瞳を見つめる。
どきん。
……な、なに? 今の……
今まで、感じた事のない、何か。
蜘蛛の巣に絡め取られたみたいに……心が……。
「……失礼します、社長?」
……美月さん、の声。
――魔法が、解ける。
私は慌てて、和也さんから一歩飛びのいた。和也さんも手を離し、美月さんの方を見た。
な、何? 今の……。
知らない魔法をかけられたみたい、だった……っ。
どぎまぎしている私を、美月さんが横目でちらと見、そして和也さんに向き合った。
「……大丈夫なの、和也?」
和也って……呼び捨て?
……美月さんがそう言うの、初めて聞いた……。
和也さんは少し頭を振って、美月さんに言った。
「……ああ。大丈夫、だ」
……そして、私の方を見て、微笑んだ。
「……楓が、俺を、守ってくれる、そうだ」
美月さんの瞳が丸くなる。顔に血が上るのが分かった。
「す、すみませんっ、差し出がましい事を……っ」
赤くなった頬を見られたくなくて、私はぺこりとお辞儀をし、社長室から慌てて逃げ出した。
***
引きとめる暇もなかった。楓は逃げるように出て行った。
……伶子が探るような目で俺を見た。
「……あの子、どんな魔法を使ったの?」
「え?」
俺は思わず息を飲んだ。伶子も知って……!?
「……武田の叔父様が来たと言うのに、あなた、正気を保ってるわ」
「……」
「あの方と対峙した時って、いつも抜け殻みたいになってたのに……」
ゆっくりと息を吐く。魔法、とはそういう意味か。
「……そう、だな……」
……私が、あなたを、守るから。
――かつて、たった一人だけ、そう言ってくれた人がいた。
同じ言葉。同じ魔法。
……『あの時』、と同じ……。
はあ、と伶子がため息をついた。
「……なんだか、心配して損した気分だわ」
「え……」
「あなた、今どういう顔してるか、判ってる?」
「……」
「敏腕社長はどこ行ったのよ。そんな甘い顔、長い付き合いの中で、初めて見るわね」
……自覚、はなかった。他人から見ても判るくらい、なのか。
「……心配かけたな、伶子。ありがとう」
全く、付け足したみたいな感じね、と伶子が軽く文句を言った。
「……仕事に戻る。次の予定は?」
「はい、大東株式会社の田中社長とのアポですね」
「準備してくれ。そちらに向かう」
「わかりました」
美月がてきぱきと作業を始める。俺も、机に戻った。
――ふわっと香る、草原のような匂い。
……確かに、あの重苦しい雰囲気が消えている。
(効き目はあったらしいな……)
慌てていた楓の顔を思い出し、思わず笑った。
……後で、礼をしておくか。
そう思いながら、俺は必要な書類を揃え、アタッシュケースに入れた。
「……和……」
言いかけて、ここは会社だった、と気づいた。私は俯き加減にお盆を持ったまま、中に入った。
ソファには、男性が一人。五十歳代ぐらい。少し小柄だけど恰幅のいい身体に仕立てたスーツ。高そうな金の腕時計。腕を組み、イライラしたように窓の方を見ていた。
和也さんが、お客様の前に座る。
私は、失礼します、と頭を下げ、コーヒーカップとお茶菓子受けをテーブルに置いた。
――ガシャン!
……とつぜん、カップが倒れる音がした。
「お、お前……っ!」
「は?」
顔を上げる。あ、お客様のコーヒーがこぼれてる。カップをもとに戻し、お盆に載っていたふきんでテーブルを拭いた。
「大丈夫ですか?」
「……」
返事が無い。ふとお客様を見ると……
……目を見開き、真っ青になっていた。ホラー映画でも見たかのような、表情。
……私を見てる?
「あの……?」
私の声に、はっとしたように、お客様が言った。
「あ、ああ、すまない、大丈夫だ」
ポケットからハンカチを取り出して、汗を拭いてる。
「コーヒー、入れ直してきますね」
「いや! このままでいい!」
え?
……この方、少し、震えてる……よね?
(……でも、お会いした事、ないんだけど……)
首を傾げながら、和也さんの方を見ると……
(うっ……)
……こちらも能面みたいな、顔になってた。無表情。
(わ、私が悪い……のかしら……?)
でも、初対面だし……。
しばらくの沈黙の後、お客様がやや引きつったような笑顔を見せた。
「……私は、和也の叔父で、武田 譲司、だ」
……叔父さん? 私はぺこりと頭を下げた。
「私、第一秘書美月の補佐をしております、内村と申します」
……さっき、こう言えって言われたのよね……美月さんに……。
「……以前、お会いした事はあったかな」
「……いいえ、今初めてお目にかかりますが」
武田様が、ほっと安心したように息を吐いた。
「すまないね、君によく似た人を知っていたもので」
「はい……」
内心首をかしげながら、お辞儀をして出て行こうとした時……
「……ここに、いろ」
「え?」
……和也、さん?
無表情。でも、瞳だけがぎらついていた。
私は、お盆を脇に抱えて、和也さんの席の後ろに立った。武田様が嫌そうな視線を私に投げた。
「……それで、今さら俺にどうしろと言うのです?」
和也さんが会話を再開した。武田様の表情が変わった。
「……本家に顔を出さないつもりか? 当主の喜寿を祝うパーティーだぞ」
「……」
当主? 喜寿? パーティー? 私は目を丸くした。
……よくわからないけど……喜寿ってことは七十七歳のお祝いだから、和也さんのおじいさん、おばあさんぐらいの方かなあ……。
「仕事の都合がつけば、顔を出します。それでいいですね?」
武田様が舌打ちをした。
「……っ、相変わらず、生意気な……」
武田様が私を見た。
「家族の集まりに顔を出さないなどと、不義理にも程がある、と思いませんか」
「……」
「内村……さんと、言ったかな。あなたの、ご家族は?」
「……両親は私が物心つく前に事故で亡くなりましたし、育ててくれた祖父母ももういません。ですから、家族と呼べる人は、もう……」
「そうか……悪い事を聞いたね」
「いえ、お気になさらないで下さい」
……正確には、ちょっと違うし。私は、おばあちゃんを思い出した。
和也さんが武田様を睨みつける。
「……内村の事は、もういいでしょう。他に御用が無ければ、お引き取り下さい。俺もヒマではないので」
武田様の頬骨あたりに、赤みが増した。
「……ったく、こんなヤツのどこが気にいったのか……」
武田様が立ち上がる。和也さんも立ち上がった。
「……生意気な口を叩くのも、いい加減にした方がいいぞ、和也」
「……」
「お前には敵が多い事ぐらい、自覚してるだろう。『あのような目』にあったぐらいだからな」
和也さんの気配が一気に暗い色、に変わった。鳥肌が立つ。
(……だめ、このままじゃ闇を引き寄せるっ……!!)
「……あの!」
武田様と和也さんが、はっとしたように私を見た。
「し、社長は、敵は多いかもしれませんが、味方も多い方です。だから、きっと大丈夫ですっ!」
言葉に光の魔法を混ぜる。シャボン玉が割れるように、闇の気配、が消えた。
武田様が、ふっと自嘲気味に笑った。
「……なるほど。いい部下は持っているようだな」
「……」
失礼する、と言い残して、武田様が社長室を出て行った。和也さんの顔色は、……悪かった。
「……楓?」
ぽつり、と和也さんが言った。
「……あ」
ふと、我に返る。テーブルにお盆を置いて、社長室の四隅に携帯スプレーでミストを撒き、浄化のまじないを唱えてる私、がいた。
……身体が勝手に動いてた。
「す、すみませんっ、つい浄化しちゃって……」
「……浄化?」
虚ろだった和也さんの瞳に、光が戻った。
「……この部屋に充満していた悪意を祓いました」
私は和也さんに説明した。
「こ、このスプレーはホワイトセージというハーブの成分を濃縮したものです。浄化の作用があります」
「……」
「その……悪い気を浄化するために、いつも持ち歩いてて……」
「……」
「……あ、あの……」
私は和也さんの瞳をまっすぐ見た。
「私、上手く言えませんけど……」
「……」
背伸びして、手を伸ばす。和也さんの頭をなぜなぜした。和也さんの瞳が大きくなる。
「……大丈夫、です」
「……か、えで……?」
いつもと違う……張り詰めたような表情を、なんとかしたいって、ただそう思った。
「……私が、あなたを、守ります」
……口が勝手に動いてた。
……和也さんは、しばらく硬直したように動かなかった。
ただ……瞳だけが、今まで見た事のない色に染まっていた。
「楓……」
和也さんの右手が、ゆっくりと上がって、何か、を確認するかのように、私の左頬に触れた。
和也さんが、じっと私の瞳を見つめる。
どきん。
……な、なに? 今の……
今まで、感じた事のない、何か。
蜘蛛の巣に絡め取られたみたいに……心が……。
「……失礼します、社長?」
……美月さん、の声。
――魔法が、解ける。
私は慌てて、和也さんから一歩飛びのいた。和也さんも手を離し、美月さんの方を見た。
な、何? 今の……。
知らない魔法をかけられたみたい、だった……っ。
どぎまぎしている私を、美月さんが横目でちらと見、そして和也さんに向き合った。
「……大丈夫なの、和也?」
和也って……呼び捨て?
……美月さんがそう言うの、初めて聞いた……。
和也さんは少し頭を振って、美月さんに言った。
「……ああ。大丈夫、だ」
……そして、私の方を見て、微笑んだ。
「……楓が、俺を、守ってくれる、そうだ」
美月さんの瞳が丸くなる。顔に血が上るのが分かった。
「す、すみませんっ、差し出がましい事を……っ」
赤くなった頬を見られたくなくて、私はぺこりとお辞儀をし、社長室から慌てて逃げ出した。
***
引きとめる暇もなかった。楓は逃げるように出て行った。
……伶子が探るような目で俺を見た。
「……あの子、どんな魔法を使ったの?」
「え?」
俺は思わず息を飲んだ。伶子も知って……!?
「……武田の叔父様が来たと言うのに、あなた、正気を保ってるわ」
「……」
「あの方と対峙した時って、いつも抜け殻みたいになってたのに……」
ゆっくりと息を吐く。魔法、とはそういう意味か。
「……そう、だな……」
……私が、あなたを、守るから。
――かつて、たった一人だけ、そう言ってくれた人がいた。
同じ言葉。同じ魔法。
……『あの時』、と同じ……。
はあ、と伶子がため息をついた。
「……なんだか、心配して損した気分だわ」
「え……」
「あなた、今どういう顔してるか、判ってる?」
「……」
「敏腕社長はどこ行ったのよ。そんな甘い顔、長い付き合いの中で、初めて見るわね」
……自覚、はなかった。他人から見ても判るくらい、なのか。
「……心配かけたな、伶子。ありがとう」
全く、付け足したみたいな感じね、と伶子が軽く文句を言った。
「……仕事に戻る。次の予定は?」
「はい、大東株式会社の田中社長とのアポですね」
「準備してくれ。そちらに向かう」
「わかりました」
美月がてきぱきと作業を始める。俺も、机に戻った。
――ふわっと香る、草原のような匂い。
……確かに、あの重苦しい雰囲気が消えている。
(効き目はあったらしいな……)
慌てていた楓の顔を思い出し、思わず笑った。
……後で、礼をしておくか。
そう思いながら、俺は必要な書類を揃え、アタッシュケースに入れた。