Fly*Flying*MoonLight
PM10:30 食堂
「……ったく、あのじーさんは……」
玄関の扉を閉めながら、思わず愚痴が俺の口からこぼれた。
結局、なんだかんだと引き留められ、会社に車を取りに戻って……すっかり遅くなってしまった。
『またお邪魔したいのう』
そう言って、ほっほっほ、としらじらしく笑っていた、じーさん。
(しかし、厄介なことになった……)
あのじーさんが、このまま黙ってる……訳ない、よな……。
「伶子の予言が当たったか……」
はあ、とため息が出た。
じーさんの初恋の人。それが、楓の『おばあちゃん』
この家に満ちている優しい雰囲気。その通りの人だったなら、じーさんが惚れこむのも判る気がした。
……にしても、だ。
「あれは絶対、楓にちょっかい出す気だな……」
俺が気を取られていると、上の方から声がした。
「あ、和也さん。おかえりなさい」
二階から楓が降りて来た。またスウェットスーツ姿になってる。
「……ただいま」
楓が俺の前にてくてくと歩いて来た。
「九条さん、ちゃんと戻られました?」
……じーさんの心配か。思わず眉間にしわが寄った、気がする
「……あのじーさんの言う事は、鵜呑みにしなくていいから」
楓が目をぱちくりさせた。
「でも、素敵な方でしたよ? おばあちゃんの事もお話しして下さって……」
「……」
昔話戦法には対抗する手段がないな……。
「とにかく、じーさんはよく問題を起こすんだ。なるべく関わらない方がいい」
ぷぷっと楓が吹き出した。
「和也さんにすごく似てるのに」
「は!? 俺がじーさんと!?」
楓は笑いながら頷いた。
「ちょっといじわるな所とか、我がまま通しちゃう所とか、そっくり」
……。身体から力が抜けた。
「お前の目に、俺ってどう見えてるんだ……」
そう言うと、楓はちょっと困ったような顔になった。
「……わかりません。だって……」
「……?」
「……和也さん、いろんな顔に見える……から」
……いろんな、顔?
「その……社長の顔の時もあれば、いたずらっ子みたいな時もあるし……」
「……」
「……でも……」
楓が真っ直ぐに俺の目を見た。心の底まで、見通せるかのような、澄んだ瞳。
「……小さな……男の子、に見える時があるんです……」
……一瞬、心臓が止まった。
小さな、男の子。
『あの時』から、一歩も動けない、俺の中……の……。
ふわっとした感触。楓がいつの間にか、俺の頭をなぜていた。
「楓……?」
「あっ、す、すみません」
焦ったように、楓がぱっと手を離した。
「その……男の子、が見えると……つい、なぜなぜしたくなって……」
……。
俺は、どぎまぎしている楓に、手を伸ばした。
***
「……和也さん!?」
いきなり、力強い腕に抱きしめられてた。そっと、耳元で低い声が囁く。
「お前……柔らかくて、いい匂いがする……」
顔が赤くなるのが分かる。
「……お、おばあちゃん直伝の、薔薇水の匂い、です……」
「おばあちゃん、か……」
苦笑したような声。
「お前にとって、おじいさんとおばあさんは、今でもとても大切な人なんだな……」
「……はい……」
一層強く抱きしめられて、ちょっと痛い……。
「俺は……」
「俺は……お前にとって……」
和也さんはそこで、黙ってしまった。
……和也さんが……私にとって……?
……何だろう。
最初は……嫌々だったけど……
すごく繊細なところや……
私の事、ちゃんと考えてくれてるところや……
守ってあげたくなるところ、とか……
「……よく、わかりません」
そう言うと、私の頭の上で和也さんがはあ、とため息をつくのが分かった。
「……お前、正直すぎるだろ」
「そう……ですか?」
「俺の事、好きだと言ってればいい思いできるとか、考えないのか?」
いい思いって? 首を傾げながら、私は言った。
「……好きでもないのに、好きだって言うつもりはありません。だって、不誠実じゃないですか」
「……正論、だな」
和也さんがくすくす笑った。
「……お前、俺が他の女と一緒にパーティーに行けばいい、って言ってたよな?」
「はい……だって、その方たちの方がパーティーに慣れてらっしゃるでしょう?」
「……確かに、そうかも知れないが」
和也さんが少し身体を離し、私の瞳を覗き込んだ。
「……でも俺は、お前と行きたかった」
「え……」
「まあ、後悔する事になったがな……」
なんか、ぶつくさ言ってる……。
和也さんが言葉を続けた。
「……言っておくが、彼女たちは一緒に食事に行ったり、遊びに行ったりはしたが、恋人ってわけじゃ、なかったぞ」
「……そ、うなんですか……」
「特定の恋人を作るには、仕事が忙しすぎたからな……」
……確かに。和也さんの仕事中毒ぶりは、全社員が知ってるしなあ……。
「……俺が一番親しくしてる女性は、お前だぞ、楓」
「……はい?」
わっ、私!? いきなり話を振られて、私の目は丸くなった。
「少なくとも、俺は今まで一度も、他の女性と暮した事、ないが」
「そっ、それは……暮らすって意味が違うじゃないですかっ!!」
和也さんが、私の耳元でいたずらっぽく言った。
「そういう意味にしたい、って言ったら、どうする?」
「……え」
えええええええええっ!?
「あ、あの……」
そ、そ、そういう意味……って……!!
慌てて和也さんから身を離す。私の顔を見て、和也さんが吹き出した。
「お前……真っ赤だぞ」
「か、和也さんが、そんな事言うからじゃないですかっ!!」
和也さんが両手を挙げた。
「……からかって悪かった。降参」
まだ、くすくす笑ってるしっ!! どうしてくれるのよ、このばくばくいってる心臓をっ!!
「いい加減にして下さいねっ!!」
くるり、と踵を返して階段に向かう。
「……おやすみ」
背中から聞こえる、低くて甘い声。階段を一段上がって、後ろを振り向く。
「おやすみなさいっ!!」
そのまま私は、ずんずんと部屋に向かった。
部屋に入るまで、ずっと、和也さんの笑い声が追いかけて来ていた……。
玄関の扉を閉めながら、思わず愚痴が俺の口からこぼれた。
結局、なんだかんだと引き留められ、会社に車を取りに戻って……すっかり遅くなってしまった。
『またお邪魔したいのう』
そう言って、ほっほっほ、としらじらしく笑っていた、じーさん。
(しかし、厄介なことになった……)
あのじーさんが、このまま黙ってる……訳ない、よな……。
「伶子の予言が当たったか……」
はあ、とため息が出た。
じーさんの初恋の人。それが、楓の『おばあちゃん』
この家に満ちている優しい雰囲気。その通りの人だったなら、じーさんが惚れこむのも判る気がした。
……にしても、だ。
「あれは絶対、楓にちょっかい出す気だな……」
俺が気を取られていると、上の方から声がした。
「あ、和也さん。おかえりなさい」
二階から楓が降りて来た。またスウェットスーツ姿になってる。
「……ただいま」
楓が俺の前にてくてくと歩いて来た。
「九条さん、ちゃんと戻られました?」
……じーさんの心配か。思わず眉間にしわが寄った、気がする
「……あのじーさんの言う事は、鵜呑みにしなくていいから」
楓が目をぱちくりさせた。
「でも、素敵な方でしたよ? おばあちゃんの事もお話しして下さって……」
「……」
昔話戦法には対抗する手段がないな……。
「とにかく、じーさんはよく問題を起こすんだ。なるべく関わらない方がいい」
ぷぷっと楓が吹き出した。
「和也さんにすごく似てるのに」
「は!? 俺がじーさんと!?」
楓は笑いながら頷いた。
「ちょっといじわるな所とか、我がまま通しちゃう所とか、そっくり」
……。身体から力が抜けた。
「お前の目に、俺ってどう見えてるんだ……」
そう言うと、楓はちょっと困ったような顔になった。
「……わかりません。だって……」
「……?」
「……和也さん、いろんな顔に見える……から」
……いろんな、顔?
「その……社長の顔の時もあれば、いたずらっ子みたいな時もあるし……」
「……」
「……でも……」
楓が真っ直ぐに俺の目を見た。心の底まで、見通せるかのような、澄んだ瞳。
「……小さな……男の子、に見える時があるんです……」
……一瞬、心臓が止まった。
小さな、男の子。
『あの時』から、一歩も動けない、俺の中……の……。
ふわっとした感触。楓がいつの間にか、俺の頭をなぜていた。
「楓……?」
「あっ、す、すみません」
焦ったように、楓がぱっと手を離した。
「その……男の子、が見えると……つい、なぜなぜしたくなって……」
……。
俺は、どぎまぎしている楓に、手を伸ばした。
***
「……和也さん!?」
いきなり、力強い腕に抱きしめられてた。そっと、耳元で低い声が囁く。
「お前……柔らかくて、いい匂いがする……」
顔が赤くなるのが分かる。
「……お、おばあちゃん直伝の、薔薇水の匂い、です……」
「おばあちゃん、か……」
苦笑したような声。
「お前にとって、おじいさんとおばあさんは、今でもとても大切な人なんだな……」
「……はい……」
一層強く抱きしめられて、ちょっと痛い……。
「俺は……」
「俺は……お前にとって……」
和也さんはそこで、黙ってしまった。
……和也さんが……私にとって……?
……何だろう。
最初は……嫌々だったけど……
すごく繊細なところや……
私の事、ちゃんと考えてくれてるところや……
守ってあげたくなるところ、とか……
「……よく、わかりません」
そう言うと、私の頭の上で和也さんがはあ、とため息をつくのが分かった。
「……お前、正直すぎるだろ」
「そう……ですか?」
「俺の事、好きだと言ってればいい思いできるとか、考えないのか?」
いい思いって? 首を傾げながら、私は言った。
「……好きでもないのに、好きだって言うつもりはありません。だって、不誠実じゃないですか」
「……正論、だな」
和也さんがくすくす笑った。
「……お前、俺が他の女と一緒にパーティーに行けばいい、って言ってたよな?」
「はい……だって、その方たちの方がパーティーに慣れてらっしゃるでしょう?」
「……確かに、そうかも知れないが」
和也さんが少し身体を離し、私の瞳を覗き込んだ。
「……でも俺は、お前と行きたかった」
「え……」
「まあ、後悔する事になったがな……」
なんか、ぶつくさ言ってる……。
和也さんが言葉を続けた。
「……言っておくが、彼女たちは一緒に食事に行ったり、遊びに行ったりはしたが、恋人ってわけじゃ、なかったぞ」
「……そ、うなんですか……」
「特定の恋人を作るには、仕事が忙しすぎたからな……」
……確かに。和也さんの仕事中毒ぶりは、全社員が知ってるしなあ……。
「……俺が一番親しくしてる女性は、お前だぞ、楓」
「……はい?」
わっ、私!? いきなり話を振られて、私の目は丸くなった。
「少なくとも、俺は今まで一度も、他の女性と暮した事、ないが」
「そっ、それは……暮らすって意味が違うじゃないですかっ!!」
和也さんが、私の耳元でいたずらっぽく言った。
「そういう意味にしたい、って言ったら、どうする?」
「……え」
えええええええええっ!?
「あ、あの……」
そ、そ、そういう意味……って……!!
慌てて和也さんから身を離す。私の顔を見て、和也さんが吹き出した。
「お前……真っ赤だぞ」
「か、和也さんが、そんな事言うからじゃないですかっ!!」
和也さんが両手を挙げた。
「……からかって悪かった。降参」
まだ、くすくす笑ってるしっ!! どうしてくれるのよ、このばくばくいってる心臓をっ!!
「いい加減にして下さいねっ!!」
くるり、と踵を返して階段に向かう。
「……おやすみ」
背中から聞こえる、低くて甘い声。階段を一段上がって、後ろを振り向く。
「おやすみなさいっ!!」
そのまま私は、ずんずんと部屋に向かった。
部屋に入るまで、ずっと、和也さんの笑い声が追いかけて来ていた……。