Fly*Flying*MoonLight
***二年後 満月の夜 レストラン

「ねえ、なに考えてるの?」
 甘えたような声。俺は向かいに座っている麻耶を見た。
 右手に赤ワインの入ったグラスを持ち、左ひじをついて、俺を舐めるように見ていた。真っ赤なネイルが人目を惹く。
「……仕事だ。まだ残ってる書類がある」
 はあ、と麻耶がため息をつく。

「食事の時ぐらい、別の事考えられないの? 和也さんって本当、仕事ばかりよね」
 すねたような瞳。
 ……麻耶ともここまでか。

「すまない。まだまだ、ひよっこの会社だからな」 
 フォークとナイフを置き、ミネラルウオーターを一口飲んだ。
「……先に失礼する。会社に用事を思い出した」
 ちら、と麻耶の瞳に苛立ちが映った。
「なら、和也さんの家で待たせてもらおうかしら。確か会社近くのマンション住まいよね?」
 ……あそこか。
「いいわよねえ、最上階のペントハウスでしょ? 一度そこからの夜景、見てみたいと思ってたの」
 ……本当にあの場所がいいと思ってるのか。
「……仕事がいつ終わるかわからないから、待たせるのは悪い。タクシーに送らせるから」
 むっとしたような表情。
「……わかったわ。折角だから、デザートまで頂いて帰るわね」
「ああ」
 もう連絡が来る事もないな。伝票を持って席を立つ。
「じゃあ、失礼する。ゆっくりして行ってくれ」
 麻耶はちらと手を振り、ワインを口にした。

 ……俺はタクシーの手配をして、駐車場に向かった。

***社長室~屋上

 ……これで、終わりか。後は、明日、美月に頼めばいい。

 背を伸ばす。窓から外を見る。
 ……今日は満月、か。やたら明るいと思った。

 ……ちり……ん……

 何か、が鳴った音がした。辺りを見回す。何もない。

(……ん?)
 首元から銀の鎖を引っ張りだした。半分に割れた、銀色のメダルを右手で持つ。
 ……熱い? 今までこんなことはなかった。

『……大事に持っていて。……いつかまた、きっと会えるから』
 声が……聞こえた気がした。

 メダルを戻して、社長室の鍵をかける。秘書室を抜けて廊下に出た。

(……非常階段の扉が開いてる?)
 扉を閉めようと近寄った時、ふわっと風が流れた。階段を覗き込むと……屋上の方から風が入ってきている。

 誰か、屋上にいる?
 階段を上って、屋上に出る、鉄の扉をゆっくりと開けた。

「……!?」
 俺は目を見張った。
(何……!?)

 ……少し赤みを帯びた、大きな満月。

 その中に……

 ……長い髪をなびかせ、こちらに背を向けて空に浮かぶシルエット……があった。


「おねえ……ちゃ……」
 思わず声が洩れた。

 影が、こちらを向いた。

「きゃ……っ!!」
(……え!?)
 バランスを崩したように、影が落ちる。俺は咄嗟に駆け出し、両手を伸ばした。

 ……ふわっと柔らかい身体、が空から手の中に落ちて来た。

 ……薔薇、の匂い……だ……。

 目を瞑ってる、この……顔……は……。

「……大丈夫か?」
「しゃ、社長っ!?」
 瞑って目を開けて、彼女が叫んだ。

「お前……」
 言葉が出ない。確かに空を飛んでた。
(『彼女』と、関わりがある……のか……!?)

  目の前で、あたおたしている彼女。入社してから、ずっと見てきた彼女。
「……総務部の、内村 楓……」
 名前を呼ぶと、ぎくっとしたように、俺を見た。
「……なんで、空、飛んでた?」
 そう聞くと、彼女は一層落ち着きを無くしてたが、やがて俺を真っ直ぐに見た。
「あ、あの……」
 彼女の髪が風になびき、俺の手に巻き付いた。
「……!!」
 ふっと、彼女がふらついた。
「おいっ……!?」

 ――崩れ落ちるように、彼女は気を失った。

***

「ん……」

 ソファに寝かせていた、彼女が動いた。

「……気がついたのか?」
 覗き込むと……
「しゃ、社長っ!?」
 ゴン。いきなり頭突きを喰らった。
「いたた……」
「痛いのはこっちだ、この石頭」

「で? 説明してくれ」
 目の前に座る。……どう見ても、居心地悪そうだな。

 ……彼女は、何か、を決めたように、真っ直ぐに俺を見た。

「あの……信じてもらえないかも、しれませんが……」

「実は、私……魔女、なんです……」
『実は、おねえちゃん……魔女なの』

 ……同じ声。同じ言葉。一瞬、暗い海辺にいるような気が……した。

 目の前の彼女、が
 ――『あの時』の、彼女と重なる。

 ……俺は、ため息をついていた。

「わかった。で?」
 びっくりしたように、彼女が目を見開いた。
「え、えらく、あっさり、なんですね……」
 ……ニ度目だからな、とは言えなかった。

「目の前で空飛ばれたら、信じるしかないだろ」
 代わりに、そう言った。

「あ、あの……しゃ、社長にお願いがっ……!」
 必死な顔。そう言えば、こう言っていたな……。
『内緒にしてくれる? 魔女だってこと、バレちゃ、だめなの』
「別に人に言う気はないが」
「え?」
 目を丸くしてる。
「誰でも、言いたくないことぐらいはあるからな」
 ……そう言えば安心するのか、と思ったが、まだ何か言いたそうだな。

「で、でも、お願いと言うのは、そうではなくて……」
「……」
「わ、私を解放、してくださいっ!」

「は?」
 解放? 何の事だ?
「俺がお前を?」
「は、はい……」
「……別に捕まえたりしてないだろ」
「そ、そういう物理的な意味じゃなくて……」
「……」
「私、今……あなたに従属している状態です」

 ……一瞬、耳を疑った。何を言った、今!?
 彼女が話を続ける。
「……魔女は、魔法を使うところを見られると……その人のもの、になってしまうんです……」

 ……俺の、もの?

 この、目の前にいる、魔女が?

 思考が止まる。

「……お前が……俺のもの……?」

 頷いて話す、彼女を見ながら……俺は、ぐるぐると同じ事を考えていた。

 ……俺のもの。俺の。


 ……何だ……この気持ち、は……。

 ……やっと……手に入れた。
 ずっと、探していたものを。

 そんな想いが湧き出て来た。

 ……だから、彼女にこう言った。

「こんな面白そうな事、忘れるなんてできない」

「お前は、俺のもの、だ」

 彼女が目を見開く。……信じられない、といった表情。


 だが……もう……

(……手放すわけ、ないだろう?)


 ……そう、思った。
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