Fly*Flying*MoonLight

PM11:00 私の家

「これは……」
 車の窓を開けた和也さんが、呆然としたように言った。

 むせかえるような、薔薇の香り。背の高い、鉄の門を開けると、暗闇の中から葉の擦れる音がした。

「……こちらです」
 私は車を停めるところを指図した。和也さんが車を停めている間に、玄関の鍵を開ける。
ホールの電気を付ける。和也さんが、スーツケースを持って、古いオーク材の扉を開けて入ってきた。

「……すごいな」
 瞳がさっき空を飛んだ時と同じように輝いてる。

 古い洋館。玄関ホールには、大きな振り子時計。ステンドグラスの飾窓、壁のランプ。アンティーク調のテーブルの上には、水晶のクラスターや瑠璃。
……多分、アンティーク好きだったら、たまらない家なんだと思う。

「へ、部屋は二階をどうぞ。祖父が使っていた部屋がありますから」
 ……男の人が寝られそうなベッドって、あの部屋しかないのよね……。
私はゆるやかなカーブを描いた階段を先にのぼり、左に曲がって奥の部屋へと案内した。
 
 つきあたりの左手にあるドアを開け、和也さんを中に通した。
ダブルベッドに作業用机が一つ。シンプルな家具。
「……」
 和也さんは、黙ったまま、視線をあちらこちらに走らせた。……壁にしつらえられた、大きな暖炉を見てる……?
「すみません、その暖炉、もう使えないんです」
 和也さんは、はっとしたように私を見た。
「いや、構わない」
 ……また、じっと部屋を見る和也さん。

「……この部屋で、いいのか?」
「はい?」
「俺が使っても?」
「……はい。祖父はもう亡くなりましたし、男性が寝られそうな部屋ってここしかないので」
「……」
 強引に来た割には、なんだか躊躇ってるみたいに見えるけど……。
「……お前のおじいさんは……愛されてたんだな」
「え……?」
「この部屋は……この部屋の主は、大事にされてたんだって、わかる」
「……和也さん?」
 和也さんは天井を仰ぎ見た。磨きこまれた、艶のある木材の天井。
「主がいなくなっても、家具も……壁も床も、丁寧に扱われてる」

 ……びっくり、した。

 この俺様な人から、こんな言葉を聞くとは思ってなかった。

(美月さんが、社長は勘が鋭いって言ってたっけ……)
 私は思わず微笑んだ。
「……ありがとうございます。祖父と祖母は、本当に仲の良い夫婦でした」
「……」
「この部屋は……祖父を守るために、祖母が……」
 言いかけて、ふと、止まる。

「……おばあさんがどうした?」
 和也さんが聞く。私は、ちょっと目を瞑って、呼吸を整えた。
「……祖母が、魔法をかけた部屋、なんです……」
 今まで誰にも言った事はなかった。魔法の話をしても、馬鹿にされるだけだったから。
でも、この人なら信じてくれる。
……なぜか、そう、思った。

「そう……か……」
 和也さんは、どこか遠い目をした。

 ……なんだろう。
俺様で、強引で、仕事もやり手で、背も高くて、顔も綺麗で、恋人だっていっぱいいて、お金持ちで……。

 ……なのに。

 私が持ってるものを……私が当たり前に手にしているものを……
 ……この人は、何も、持っていないのかも、しれないって……思った。

「あの……」
「……」
 和也さんは、黙ったまま私を見下ろした。
「祖母の魔法は、まだ有効です。だから……」
 私はそっと背伸びして、艶やかな髪をなぜなぜした。
「きっと、あなたを守ってくれるはずです」
 ……和也さんが目を見開いた。

 ふと、我に返った。
 わ、私、小さい子にするみたいに、和也さんの事なぜてた……っ!!

「あっ、す、すみませんっ!」
 思わずぱっと離した手を、和也さんの右手が掴んだ。
「あの……?」
 和也さんが、じっと私を見つめてる。
「お前……」
「はい?」
 和也さんはしばらく何も言わなかったけど、やがて、はあ、と大きなため息をついて、私の手を離した。

「あ、この部屋の隣にシャワーがあるので、そこを使って下さい。私は一階を使いますから」
「……」
「では、おやすみなさい」
 回れ右して部屋を出て行こうとした私の耳に、
「……おやすみ」
と言う低い声が聞こえた。

「ふう……」
 閉めた扉に、背中を預けた。き、緊張、した……。

 和也さん、無事……だったよね……
(……ってことは、受け入れられたってことよね……この家に……)

 おばあちゃんの魔法。悪しき心の持ち主が、足を踏み入れると、この館が拒絶反応を示す。
そこまで行かなくても、無意識のうちに魔法にかかって、酔ってしまったようになる人も少なくない。

 ……でも、何ともなかった。
(認められたってこと……?)
 それはそれで、複雑な気持ち……。

 よく考えたら、男の人がこの家にいるのって……おじいちゃんが亡くなって以来、なんだ……。
(なんだか、慣れない……なあ……)
 まあ、魔法のシールドが張り巡らされてるから、勝手にあちこち入れないし、安心は安心なんだけど。
 
ふあああ、とあくびが出た。

 ……とりあえず、もう、寝よう。明日も朝、早いし……。

 私は、自分の部屋の扉を開けて、中に入った。
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