この時代に剣客が現れて剣道部に入ってしまったよ。
「なあ、鬼よ。この建物は何という地獄だ?」
又四郎が忠明に聞く。
「病院だ、病院!なんだ、病院も分からないほど記憶喪失が酷いのか。」
「ぐっ。なんだこの匂いは。地獄の香りと言う奴か・・・。」
消毒液と病院独特の臭いが又四郎の鼻に付く。
「この老人の数はなんだ?老人の亡者を集めるあの世の地獄なのか?」
忠明は慌てて又四郎の口を抑える。
「バカ野郎!病院で、あの世とか、地獄とか、亡者とか言うな!!ここの老人はみんなナィーブなんだから。」
一斉に老人達は忠明を睨む。
検査室に入った又四郎は、看護師から問診を受ける。
「血液型は?」
「なんだそれは?」
「まあ、良いです。血液検査しますね。」
「はい、右手を出してください。」
言われるまま腕を出す又四郎。
ゴムチューブを巻かれる。
「はい、チクッとしますよ。」
「!?」
又四郎は腕を払う。
「キサマ!不意討ちとは卑怯な!これが地獄のやり方か!!」
騒ぎを聞き付けて、忠明が飛んで来た。
「今度は何だよぉ〜・・・。」
呆れながら検査室に入って行く。
麻酔を注射され(2回目)、おとなしくなった又四郎は、血液検査や内視鏡、MRI、超音波、心電図、脳波、あらゆる検査を受けた。
意識障害が甚だしい又四郎が、目覚めると大変厄介なので体を固定し、ベッドに縛り付ける。
後は、口頭問診と、精神鑑定を残すだけである。
残りは明日。
忠明は念のために、病室に泊まる。
「なあ、次郎さん。この自称・現代に来た侍の内蔵とかは大丈夫だったか?何でも、落雷に撃たれたとか、言っていたんでな。」
次郎とは監察医である。
様々な事件の法医学的な場面で警察をサポートしている。
先日の中二発言も、この男であった。
「う〜ん。落雷を受けた形跡は無いんだよなぁ。ただ、現代の若者にはあり得ない体の造りだな。」
「と、言うと?」
「外筋はさほど付いていないように見えるが、インナーマッスルは海外のオリンピック選手並みに発達している。」
「格闘家、いわゆるボクサーとか、空手家とか、そう言う類いの武術家でも、ここまで身体能力が高い人間には、まず、お目にかかれない。」
「ほう。つまりは?」
「生まれた時から、体作りをしない限り、このインナーマッスルは出来上がらない。」
忠明は理解した。
「つまり、家はさぞ名高い格闘家の子供である可能性が高いと。」
「うむ。そうだな。これだけの教育が出来る家はそう多くない。さぞ名のあるアスリートの家かも知れん。」
「訓練中に、何らかの事故に遭って、記憶を喪った可能性が在ると。」
「そうだ。」
「でも、そんな有名なアスリートの家なら、すぐに捜索願いなり、問い合わせがあったりするはずじゃないか?」
「ああ。勿論、それも考えられる。だが、あと一つ疑念がある。」
次郎は静かに続ける。
「胸から脇腹に掛けて、鋭利な刃物で切られた痕がある。」
「・・・。在るな。確かに。」
昨晩の珍事で、遙と忠明はその傷を確認していた。
「だが、時期が符合しない。かなり古い傷なのだ。あの傷は。」
「おそらく、私の見立てではあの傷痕は二十年近く前の物だ。深くはないが、かなり外科的な治療が必要な傷だ。」
「あの傷が付けられた年齢を合わせると、恐らく推定で、36歳くらいだろう。」
忠明は言う。
「だが今は、遙と同じ頃合いの年齢だよな。見た目。」
「うむ。体格には個人差があるが、高校生位の体格だしな。まあ、実際高校生と言っても間違いではないな。」
う〜ん・・・。
二人は又四郎の特殊な体躯と、符合しない傷の時間に思いあぐねいた。