この時代に剣客が現れて剣道部に入ってしまったよ。
又四郎に対して、平賀の拳は全く効いていなかった。
まあ、それはそうだろう。
真剣で戦い、鍛え上げられた拳で殴り遭い、丸太のような足蹴りを喰らい、鼓膜が破れる程の気合いの中で生きてきたのだから。
たかだか、高校生になったばかりの子供の拳など、自分が朝の洗面を行う時に比べても、生温いくらいだ。
まして、人を殴った事も無いような拳に、参ってしまう道理は無い。
又四郎にとっての問題は、保健室とやらが何処に在るのか解らないと言う事なのだ。
「う〜む・・・。もう少し、平賀に案内してもらってからの方が良かったかも知れぬ。」
「高柳君!」
又四郎の後ろから、委員長が声を掛ける。
「何処に行くの?そっちは生物準備室よ?」
声に気付いて振り返った又四郎。
「おお。委員長殿。すまぬが、保健室とやらは何処に在るのか?」
その無邪気なはにかみ笑いに、委員長は、先程まで烈火の如く怒っていた人間と、同じ人間だとは到底思えなかった。
「あ、こ、こっち。階段降りて突き当たり。あ、私に着いてきなさい。」
委員長らしく、高圧的な口調になる。
「かたじけない。」
又四郎は委員長の後に着いていく。
「ね、ねえ。高柳君。あなたはどうして古風な言葉の言い回しなの?もしかして、中二なの?」
「ふむ。言っている意味が全く理解できないが、わしは元々こう言う話し方だが・・・。おかしいか?」
「おかしいわよ!まるで時代劇から抜け出てきたみたい。」
「今朝方も同じ事を女子に言われたが、地獄のオナゴとは時代劇とやらをよく見ているのか?」
「地獄のオナゴ?ちょっと、意味が解らないのだけれど。見ているわけ無いじゃない。」
「ふ〜む。意味がわかぬか。それはわしもそうなのだが・・・。」
二人は黙る。
「それよりも、何故平賀君にあんな事させたの?」
委員長が切り出した。
あんな事とはつまり、みんなの前で自分を殴らせるように仕組んだのか。と、言うことだろう。
又四郎は、聡明な委員長という女子に驚いた。
「解っていたのか・・・。」
又四郎は一言、そう言っただけだった。
「解るわよ。私も空気やっていたから・・・。」
「その空気とか言うのはそもそも何なのだ?人の存在を無視して、嫌がらせをする地獄の責めなのか?」
「地獄の責めね・・・。確かに当たっているわね。
こんな小さなクラスと言う世界に、自分を優位に見せたりする為に、人をおとしめる行為が存在するの。」
「それは、誰かをイジメてその人を否定して、自分を肯定する為に、立場の弱いものを寄ってたかって自分の醜い部分をぶつけ、居ても居なくても良い、それこそ、空気のような存在に仕立て上げた人間が必要なの。」
「その捌け口にされたのが、私であり、平賀君なのよ。」
「教師とか言う人を導くべき立場の輩は、お前達には手を差し伸べなかったのか?」
「ええ。彼等は自分の立場を守る事しか考えないの。少なくとも、私達の担任はね。」
「白い棒を投げたあいつか?」
「あいつは副担。担任は、病気で入院してる。」
「ふ〜ん。そうか・・・。病か。」
「色々複雑なんだな。地獄と言うのは。くだらぬ。」
又四郎は呟く。
保健室に来た二人は、中に入る。
保険医は居なかった。
仕方がないので、委員長が又四郎の顔に消毒液を塗る。
「かっ!馬鹿者染みるではないか!よい、そんなもの!」
「黙りなさい!大人しくしないと大声出すわよ。」
「くっ!卑怯な!この世にオナゴの悲鳴ほど強い武器は無い!」
「解ったら、大人しくしていなさい。」
いくらペチペチの拳でも頬に多少の傷が付いた。
委員長は何故か頬を染めて、消毒液を又四郎に塗っていた。