シルビア
結局言葉は言えないうちに凛花は泣き疲れ眠ってしまって、俺はその寝顔に小さくキスをして彼女から腕をそっと離した。
今日中に、急いで部屋を払おう。仕事も朝イチで辞めることを伝えて、凛花の前からいなくなろう。
やっぱり浮気していたんじゃないか、最低な男、そう思われていい。嫌いになって、忘れてくれればいい。
そう後にしようとした部屋にひとつだけ残したのは、カバンの中に入れていた青いケース。
本当は、持ち帰るべきだろう。本当に嫌われたいと、願うのなら。
だけど叶うことなら、この指輪をはめて笑う凛花が見たかった。
そんな未練を、置き去りにするように。
凛花へ、愛しているよ。
世界で一番、君を想ってる。
たとえこの先二度と会えなくても、ずっとずっと、想ってる。
君と過ごした時間は、幸せでした。
だからどうか
君の幸せを、願ってる。
心の中で囁いて、部屋をそっとあとにした。
それからの日々は、正直あまり覚えていない。
元々物の少ない小さな俺の部屋の荷物は、近くに住む姉に手伝ってもらって朝のうちに全て払うことができた。
その間に電話で一方的に仕事も辞めた。
体のことを知っている姉のすすめもあり、少しの間はささやかな貯金を切り崩し、姉の家で世話になりながら、病院に通い、治療に専念した。
その甲斐あってか、一時期よりぐんとよくなった体調。それを機に、転職先も探し、あの頃住んでいた場所からはそれなりの距離をとった位置にアパートを借りた。
新しい職場は、インテリアの大手メーカー。給料も保証も条件はいいし、これなら凛花との接点もないだろう、と決めた会社。
初めての営業という職業に覚えることもやることも山のようにあって、おかげで病気のことも凛花のことも考える時間が減った。
これならひとりで、生きていける。
またいつ悪化するかわからない体。ならこのまま、ひとりで生きよう。
そう決めていたはずなのに、街で目が追うのは、彼女に似た人。あの駅沿いを電車で通過するたびに、マンションを探して、彼女を探してる。
頭の中はいつだって、凛花のことばかり。
……忘れろ。
凛花が、他の誰かと幸せでいればいい。笑ってくれていればいい。