シルビア
「ってことで、今日は帰ったら?」
「……言われなくても帰ります」
「じゃあ送る。俺もちょうど帰ろうとしてたところだし」
へへ、と笑う笑顔はやっぱり人懐こく可愛らしくて、つられて笑いそうになるのを堪えるように、きゅっと噛む口元。
「いい、平気ですから」
「えー?でも暗いよ?帰り道お化け出るかも」
「住宅街は明るいからお化けも出ないし大丈夫です」
白々しい敬語で冷たく拒み、書類もそのままにバッグと上着だけを持つと足早に社内を歩いていく。
そんな私に対しても望は笑顔のまま。歩く足を早め、隣をついて歩いた。
「相変わらず、怖いの苦手なんだね」
「うるさい。ついてこないでください」
「ついてこないでって言われても。俺も帰るところだったんだもん」
……まぁ、この時間だしそれもそうか。格好から見ても帰ろうとしていたのは事実なのだろうし、なら仕方ないとしか言いようがない。
文句を言いたい気持ちをぐっとこらえ、スタスタと会社を後にする。
「いつもこんな時間まで残ってるの?大変だねぇ」
「別に」と短く答える相変わらず感じの悪い返事にも、その横顔は笑顔のまま。
「でも変質者とか出たら大変だし、帰れるときは早めに帰りなよ」
「出てこようものなら噛みちぎってやりますから」
「それはそれは、頼もしいお言葉で……」
『なにを』とまでは言わないもののばっさりと言い切る私に、ぞっとしたように、手にしていた鞄で自分の下半身を隠す望。
そんな私たちを包むように、夜のオフィス街の灯りはチカチカと光る。
「にしても女の子が噛みちぎるって……昔はもっとかわいげあったのに、時の流れは残酷だねぇ」
「うるさいな……誰のせいよ、誰の!」
「女子力の低い自分のせいでしょ?」
「はぁ!?」
あんたのせいでしょうが!
それまで敬語を使っていたものの、うるさく言う望につい怒って声をあげれば、へらへらと笑いながらからかうように言い返してみせる。
怒る私となだめる望、それはあの頃と変わらないふたりのやりとり。
……あぁ、もう。たったこれだけのことに懐かしさは込み上げて、心を一瞬であの頃に戻すから、困る。