シルビア
「ていうかあんた、散々他人のフリしておいて今『昔は』って言ったわね」
「いやぁ、他人のフリしておいたほうがお互い都合がいいかと思って。まさか殴られるとは思わなかったけど」
やはり、他人のふりはわざとだったんだ。開き直るように認めた彼に、平手じゃなくて拳で殴るべきだったと一層強く思う。
「ああそう。……どうせお互い、『ただの元恋人』だもんね」
「そうだねぇ、元カノと同僚になるなんて、なんかドラマみたいだよねぇ」
まるで他人事のような口ぶりで、なんでそう普通に『元カノ』だなんて言い切れるの。
はっきりと、『別れよう』なんて言わなかったくせに。
見上げた横顔に、望は私の視線に気付くとふっと笑う。その笑みにまた揺れだす心を誤魔化すように、私は視線を前へと向けた。
気付けば街を抜け着いた駅。自然と中央線のホームへ向かう私の足に、望は普通についてくる。
……家、こっち方面なのかな。
あの頃は当たり前に知っていた、家の場所、暮らしぶり、好きなもの嫌いなもの。
だけど、今はなにも知らない。
『どこに住んでいるの?』『どんな生活をしているの?』
聞きたいけれど、聞くこと自体がまた自分を他人なのだと証明するようで、聞けない。
惑うまま乗り込んだ電車は、ふたりを乗せ走り出す。
「そういえば、この時間まで何の仕事してたの?」
少し混んでいる電車で、つり革につかまりながら立っていると、隣に立つ望からなんの気なしに投げかけられる問い。
ガタン、と車内が揺れる度、その黒い髪もふわりと揺れた。