シルビア
『八王子、八王子ー……』
最寄駅に着いた途端、そそくさと電車から降りると、やはり望も迷いなくついてくる。
望と付き合っていた頃からずっと住んでいるこの街を、また望と歩くなんて予想もしなかった出来事で、どこか不思議な気持ちだ。
私の歩幅に合わせてくれる、ゆっくりとした足取り。
地面に伸びる、15センチの差を示す私より大きな影。
あの頃となにひとつ変わらないそれらが、懐かしさと切なさで、また胸を締め付ける。
特別会話もないまま、駅前から道を一本入り、住宅街を少し歩く。
徒歩6分ほどで着いてしまうベージュ色の外壁の小さなマンション……私の自宅前で、望は足を止めた。
「……私の家、覚えてたんだ」
「そりゃあもちろん。たまーに営業で電車に乗って通るとさ、このマンションが見えて。ちょっと懐かしく思ったりして」
笑って、軽く言われる『懐かしい』の一言。
なんで、そんなに軽く言えちゃうんだろう。まるでいい思い出かのように。
いちいち胸を締め付けているのは、私だけ。
彼のなかで私の存在は、もう過去のもの?
自然と動いた指先は、胸に刺さるその痛みを伝えようとするかのように、望の黒いジャケットの裾を小さく握った。
「……望、」
呼んだ名前に、こちらを向く茶色い瞳。
街灯にてらされた黒い髪と白い肌が、目を惹いて、一瞬にして意識をあの頃へと導く。
だけど、違う。
3年前とは、違うんだ。
私は私、望は望。変わらないものの中で違うものは、ふたりの関係。
いくら過去に後ろ髪を引かれても、私たちはもう恋人同士じゃない。
ただの、“元恋人”。