きなこ語り~キスの前、キスの後~

ボディーガードが始まったばかりの頃。
申し訳なさそうに車の助手席に乗り込み、忙しいのにごめんねと詫びるみいちゃんの頭を
大きな手のひらでポンポンと抑えながら、颯太くんは笑ってこう言ったそうだ。

『可愛い妹が危ない目に遭ってちゃ、無視できないよ。気にすんな』


「そこまでは良かったのに、そのあとに続けて
『守ってくれる彼氏もいないんじゃなぁ、俺の出番が来ちゃうわけだよな』
とか言うんだよ!あれさえなきゃ素直にありがとうって言えるのに! 一言余計なのよ!
腹立つでしょ、きなこ。ホント、意地悪なんだから」

ちょうど今夜のように、ベッドの上で私に愚痴るみいちゃんの表情が、ぷりぷり怒った口調ながら
それでもどこか楽しそうに見えたのを今でも覚えている。


それから一ヶ月ほど。
みいちゃんは、お父さんか颯太くんが運転する車に乗って大学と自宅を往復するだけの生活になった。
朝は大抵、お父さんの運転で大学へ行く。
そして帰宅は颯太くんの車。
みいちゃんを大学で拾い、家まで送り届けてくれるのが大体のパターンだった。
いつも玄関先まで送り届けてくれて、本当に細やかにやってくれている。

みいちゃんが男を見る回数はグッと減り、一見すると
平穏を取り戻したかのような日々。

「あきらめてくれたのかな」

「遠くに引っ越したとか?」

と、楽観的な発言をし始めるみいちゃんに、お母さんが
キッと目を吊り上げて言った。

「何、言ってるの。行動範囲狭めて、車でしか移動しないから
気づかないだけよ!
気を抜いて油断して、何かあってからじゃおそいのよ。
お願いだから気を緩めないでよ!」

「はぁい」

しょげた様子で返事したみいちゃんが、それでも言葉を続ける。

「お母さん、それはわかったけどさ。
でも、いつまでも颯太に迷惑かけられないよ…」

これには、お母さんもさっきまでの勢いを引っ込めた。

「それはいつまでもこのままってわけにも行かないわね…。
今度からお母さんも、瑞季の送り迎えできるから、颯太くんの送迎は
もう終わりにしましょう」

その翌日。
お母さんと、大学の授業がなく1日家にいる予定のみいちゃんは、
二人して颯太くんと颯太ママを招待して、
美味しいお菓子とお茶を出しつつ
何とかするからもうボディーガードはしなくて良い旨を、
お礼がてら伝えた。

私も、猫好きな颯太ママの膝の上に乗っておもてなししつつ、
何とは無しに、お母さんたちの会話に耳を傾けている。

「ホントに大丈夫なの?」
膝の上の私を優しく撫でながら、颯太ママが心配そうに言った。

「大丈夫ですよ、心配しないでください。私も送り迎えするし、
何とか…なります……」

にっこり笑ってそれに応えるお母さんの言葉に何故か
途中から勢いがなくなり、颯太ママの手が、動きを止めた。

妙な空気になっていることに気付いた私が顔を上げると、
みいちゃんもお母さんも戸惑った表情をしている。

2人の視線の先を追うと、険しい表情の颯太くんがいた。

颯太くんは、眉間に皺を寄せて腕組みをしたまま、ただならぬ雰囲気で
黙りこくっている。

「ちょっと颯太、何。あんたさっきからどうし…」

驚いた颯太ママの問いに被せるように、颯太くんが静かに口を開いた。

「それで、何をどうするから大丈夫なんですか」

「え…?」

「おじさんの車が出せない日はどうするんですか?それから、
どこまで迎えに?おばさん、免許ないって聞いてますけど。
大学まで行くんですか、片道1時間」

「状況を見ながらだけど…帰り道が一緒のお友達もいるから、最寄駅まで行くつもりよ」

「駅から先は?徒歩ですよね、きっと。車じゃないですよね?」

「そ…そうね…歩いて帰るつもりだけど…」

多少は心配したり止められたりするとは思っていたけれど、
颯太くんのただならぬ雰囲気にオロオロしだすお母さん。

みいちゃんも目を見開いて恐る恐る言った。
「あの…大丈夫、危ないなって思ったらタクシーだって使うし」

「ちょっと、颯太」と止めようとする颯太ママの言葉には
一切耳を貸さないまま、
颯太くんがより一層厳しい目つきで首をかしげ、みいちゃんを見つめる。

「タクシー?あの、だだっ広くて逃げ場所も隠れ場所もなさそうで、
人通りも少なくて、ロータリーに最高1台しか停まってない、
あのタクシー乗り場から乗るのか?」

「え…と…」

みいちゃんも言葉が続かなくなり、黙り込んだ。

私が予想だにしてなかった空気になったことに驚き、キョトキョトと
全員の顔を見ていたそのとき。

颯太ママが動いた。

「ちょっと颯太!アンタいい加減にしなさいよ!」

私を優しく撫でていたのと同じ手がシュッと風を切り、颯太くんの頭を叩く。

パシン!と小気味良い音がリビングに響いた。

「ぃって!何すんだよ!」

「アンタね、瑞季ちゃんが心配なのはわかるけど、顔が怖すぎなのよ!
見なさい、きなこちゃんまで怯えてるじゃないの!」

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