きなこ語り~キスの前、キスの後~
ここでようやく、張り詰めていた空気が緩み、みいちゃんとお母さんの肩の力が抜けた。

「瑞季ちゃんごめんなさいね、洋子さんも。怖がらせちゃって」

眉を下げて颯太ママが、みいちゃんとお母さんに平謝りすると、
颯太くんも謝った。

「…すみませんでした、おばさん、瑞季。
送迎やめるって聞いたらいろいろ頭を駆け巡るものがあって…。
きなこも、ごめんな」

横から大きな手が伸びてきたと思ったら私の頭がグリグリと揺らされて、
首輪の鈴がコロコロと鳴る。

それから颯太くんは、さっきまでの感情を押し出すように、ゆっくりと息を吐くと
さっきより口調を柔らかにして話し出した。

「瑞季にも、おばさんにも。そろそろ話そうと思ってたんです。
確信が持てないのに無闇に不安がらせるだけになるのもイヤだったし、
俺が送ってる限りは守ってやれるから大丈夫だと思って黙ってました」

「え、どういうこと…」

良い話ではなさそうな空気を察して顔を強張らせるみいちゃんに、颯太くんが告げた。

「最近ヤバいんだよ、動きが。瑞季のこと追っかけ回してる男」

「え?なんで…」

「瑞季。颯太くんの話、最後まで聞きなさい」

お母さんが硬い表情で、身を乗り出すみいちゃんを押しとどめたけれど、
みいちゃんが首を振って言葉を続ける。

「違うの、お母さん。颯太は男の顔、知らないはずよ」

颯太くんは、みいちゃんに頷いてみせながら

「それも含めて、話すよ」

と言った。

颯太くんの話は、こうだ。

ボディーガード開始、一日目。

颯太くんは、大学構内までみいちゃんを迎えに行ったとき、
彼女の高校時代からの親友でバイト仲間でもある女の子、
由里(ゆり)ちゃんと顔をあわせている。

そのとき「何かあったときのため」と言いながら由里ちゃんと颯太くんは連絡先を交換した。
ここまではみいちゃんも知っているのだが、
彼女の知らないところでこの後、颯太くんは動いている。
まず、その翌日に颯太くんはみいちゃんに内緒で、約束の時間より早く大学に行った。
それから、男の顔を見たことがある由里ちゃんに頼んで
大学の近くにたたずんでいる男の顔をこっそりと教えてもらったのだ。

「どうして…」

口をポカンと開いてみいちゃんが言うと、
そんなの当然だと言わんばかりに颯太くんが言った。

「どうして、って。お前ね、そいつの顔知らなきゃ守れないだろ」

「そっか…」

「でも瑞季、初日にすっごく申し訳なさそうにしてたから。
俺が動いてたら、それも気にするだろうと思って、
由里ちゃんには内緒にしてもらったんだよ。
黙っててごめんな」

颯太くんの言葉に、みいちゃんは首を横に振った。

「ううん、そんな。ありがとう」

それから颯太くんは男の顔を把握してからしばらくの間、
みいちゃんと顔を合わせて車に乗るまでさり気なく肩を抱いて歩いたり、
話すときはわざと顔を近づけたりして、
どこかに潜んでいるであろう男に対し
「彼氏に送り迎えされている瑞季」という構図を取った。

このとき、みいちゃんが少し顔を赤らめたのを私は見逃さなかった。
そういえば、みいちゃんがちょっと前に
『颯太が何するにも距離が、ち、近くて…あれって天然なのかな』
と照れながら言ってた気がするけど。
なるほど、わざとだったわけね。

まあ、とにかく。
上手くすれば、「彼氏がいる瑞季」への執着をなくしてくれるかもしれない。
そんな狙いもあっての颯太くんの振る舞いだったが、残念ながら状況は変わらなかった。

それどころか、しばらくして颯太くんはあることに気づく。
男を見かける範囲が、数日おきに変わっているのだ。
それも、少しづつ大学から離れていくように。
それでいて、大学から帰る日は必ず見かける。

これが何を意味するのか。

やがて颯太くんは、ある可能性に思い当たった。

もしかすると、あの男は。
颯太くんが運転するルートに沿って少しづつ移動を繰り返しながら、
みいちゃんの自宅を割り出そうとしているのではないか。

颯太くんの言葉に、みいちゃんが息をのむ音が聞こえる。

「うそ…」
そう言ったきり固まってしまったみいちゃんを守るように、
隣に座るお母さんが肩を抱いた。
私の背中を撫でていた颯太ママの手の動きも止まる。


「瑞季、言ってたよな?家は知られてないはずだって。最寄駅でアイツ見てからはおじさんの車かタクシー使ってるし、俺の送迎もあるから、って」

みいちゃんはうつむき加減でコックリと頷いたあと、ハッとして顔を上げ一生懸命主張した。
「で、でも。最近は見かけなくなったなって思ったんだよ?
だから、もう送迎は終わりでもいいかなって…思って…」

首を横に振る颯太くんの表情に、再びみいちゃんの言葉が途切れる。

「それはな、お前が車に乗ってしばらくはコンビニの袋覗いたまま今日は何買ったかとか、新製品のお菓子買ったとかで
箱書き読んだりだとかしてて、ほとんど外なんか見てないせいでわからないだけだ。俺は毎回アイツを見てた」

「…そんな…」

愕然とした表情のみいちゃんをみて、颯太くんが気まずそうに言った。

「俺も少しくらい教えるべきだったな。俺がそばにいるし、知らない方が幸せだなんて思ってたけど、
いきなり知らされたらショックだよな。ごめん。」

「 …でも、たぶんこのまま無防備でいたら、この家がバレるのも時間の問題なのは確かだと思う」

颯太くんがそう告げると、
その場にいた誰もが固い表情で黙り込んだ。

「で、でも。まさか、そこまでして私のこと追いかけるなんてそんなこと…」

信じたくないのだろう、頬を引き攣らせてなおも否定しようとするみいちゃんの言葉に、
颯太くんが即座に切り返した。

「無いって言いきれるか? バイト先の時点で、毎回ウロついてた男だろ」

「…………」

「一応、そのことに気づいてからは、回り道してルートも選んでるから。
今すぐどうこうってことはないけどな。俺の送迎を今、中止するのは得策じゃないと思ってる。
だから…」

颯太くんは言葉を切ると、体の向きを変えてお母さんに訴えかけた。

「おばさん。こんな話になったのは、おおかた、瑞季が『いつまでも俺に頼るのも悪い』
とかなんとか言いだしたのが発端なんじゃないですか。
遠慮する必要なんてないです。もともと車の運転は嫌いじゃないし、瑞季の大学は
家と俺の大学の間だから、送り迎えの道だって、何てことはないです。
もう暫くは 今のまま、送迎は続けたほうがいいと思います」

お母さんは、硬い表情でみいちゃんの肩を抱いたまま考え込んだあと、
颯太くんに頭を下げて言った。

「颯太くん、香織さん。すみません。またお願いします」

「お母さん、でも…」

何か言おうとしたみいちゃんに、再び颯太くんが言った。

「瑞季。あの男を見ておきながらこのまま手を引くほうが、俺にはできない。
今、車での帰宅を止めて良いことなんて何もないよ」

「そうよ、瑞季ちゃん。遠慮しないで、危ない目に遭ってから後悔したって遅いんだから」

颯太ママも後押しするように言ってようやく、みいちゃんは納得して
「お願いします。すみません…」
と言ったのだった。


結局、颯太くんのボディーガードは続行されることになって
御礼を兼ねたお茶会は終了した。

自宅に戻る颯太くんたちを見送るため、お母さんと一緒に玄関先に立つみいちゃん。
私も玄関まで足を運んだ。

「ありがとうございます、お願いします」

「もう、そんなに気にしないでいいのよ。瑞季ちゃんは何も悪くないんだから。
颯太なんか家にいたって何にもしてないんだし、 役に立つなら
そのほうがいいのよー。
それよりも気をつけてね、外を出るときは」

明るく優しく、みいちゃんに言ってくれる颯太ママ。

私もありがとうが言いたいけど、言えないから。
お礼代わりに、颯太ママのふくらはぎにスリスリと身体をすり寄せて、
気持ちを伝える。

そのとき、颯太くんがお母さんの耳元で
「おばさん、おじさん今日は何時頃に帰ってきますか?
お話というか…提案したいことがあるので、お時間とっていただけるようなら、
あとでまた伺いたいんですが」
と小声で話すのもシッカリと聞きながら、お見送りをしたのだった。

そしてその日の夜。

颯太くんは宣言通り、再び我が家へやってくるとお父さんとお母さんと色々話し、
帰って行った。





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