獅子王とあやめ姫
 妙だな、とイーリスは思った。

 何となく"イーリスの方向へ"ではなく"イーリスに向かって"歩いて来る気がしたのだ。

 噂の辻斬りでなくても、今たっぷり買ってきたばかりのぶどう酒を強盗しようなど物騒なことを考えている輩かもしれない。

 心持ち足を速め、距離を少しでも開けようと道のより左側に寄ると、男も同じ方向へ少しだけ方向を調整した。

 疑惑が確信に変わった。

 助けを求めようとしたが、不運なことに周りには誰もいない。

 イーリスが急いで荷馬車の向きを変え逆方向へ走ると、男も走り出した。

 酒樽がさっきよりも大きな音を立てて揺れる。

 (逃げなきゃ…!叫んで誰かに助けを…!いや叫んでもきっと間に合わない…!)

 そう思っても恐怖と走るのに精一杯で声が出ない。

 みるみる縮まる距離。

 荷馬車を男の方へ思いっ切り押しやった。

 男が少したじろぎ僅かに差が開く。

 (そこの角を曲がったらたしか薬屋のはず、あそこに聴こえるくらい声を…あっ!)

 
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