獅子王とあやめ姫
 アイアスを追いかけようとすると、困った顔の老婆がイーリスの腕を掴んだ。

 「世間話をするうちに母親のことを聞いちまって…本当にごめんよ。きっと今頃バトラー商店に向かってるよ。そこに肺炎の特効薬があるって教えちまった。」

 ここに雇われる前の盗みばかり働いていたアイアスの時分を思い出し、イーリスはたまらず駆け出した。



 大急ぎで駆けつけると、バトラー商店には人だかりができていた。 

 息を切らしながら野次馬を掻き分け、怒りで顔が真っ赤になっている店主に頭を下げた。

 顔見知りでアイアスの家の事情も知ってはいるが、盗まれたのが特に高価な薬だったものあって彼はカンカンだった。

 「従業員にどういう教育をしてるんだ、あの宿屋は!?治安維持兵を呼んだからな、出方次第ではお前の母親も豚小屋行きだぞイーリス!」

 かわいそうにねぇ…という野次馬の囁きを聞きながらイーリスはまた頭を深々と下げる。

 「本当に申し訳ありません!アイアスは今どこに…?」 

 「知らんな。だが今用心棒が追い掛けている。全く、嫌な予感はしていたんだ。ラトキアからわざわざ雇って良かった……。」

 ぶつぶつと独り言のように言う店主の言葉を聞きながら、イーリスはそれじゃダメだ、と心の中で思っていた。

 アイアスはこの町を知り尽くしている。
 
 細かく張り巡らされた路地を自分の庭の用にすばしっこく駆け回り、追いかけてくる大人の目を上手く撹乱することが出来たからこそ、かっぱらいをしても今まで捕まって折檻を受けることも滅多になかったのだ。

 そんなアイアスが、治安維持兵ならまだしも、土地勘のない外国の用心棒に捕まるわけがない。
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