獅子王とあやめ姫
男が一人、左肩から右腰までばっさりと斬られて倒れている。
__黒い髪を振り乱し、翡翠色の眼がカッと見開かれている。
ラトキア人だった。
バトラー商店の印が描かれた布を腰に巻いている。
この間の辻斬りだろうか……。
この前の商人の時とは比べ物にならない量の血が大きな傷口から流れ出し、石畳に血だまりを作っていた。
全力で走っていたはずなのに、頭から爪先まで氷に浸かったように冷たい。
足が震えだすのをなんとか堪えていると、突然背後から腕をガバッと掴まれた。
飛び上がって振り向くと、そこに立っていたのは鬼のような形相の母だった。
怒りで耳まで真っ赤になっている。
「馬鹿、一人で出歩くなってあれほど……!帰るわよ!」
「でもアイアスは!?あの子も危ない目に遭ってるかもしれないよ!この人みたいに!」
無我夢中で娘を連れ戻そうとするする母だったが、イーリスの一言で倒れているラトキア人が目に入ったようだ。
とたん、赤かった顔が一変してどんどん白くなっていった。
「いいから早く!逃げるの!」
アイアスのことはどうでも良いと言いたげな母の言葉に違和感を覚える。
ついに冷や汗を流し始めた母の顔からは、怒りを通り越して狂気まで感じられた。
「もういい!放して!」
以前の面影が消えた母に恐怖を感じ、逃げるようにイーリスは駆け出した。
* * *
アイアスは細くうねった路地を曲がっては走り、走っては曲がりを繰り返していた。
(母さんは俺が助けるんだ!)
元気だった頃の母の笑顔も、はっきりと思い出せないほど昔のものになっていていた。
アイアスにはそれが悲しくて悲しくて仕方がなかった。
仕事で疲れて眠り込んでいても目が覚めるほどの大きな咳をしていた母。
骨が浮き出た背中を何度さすったか…。
子供の自分にも分かるほど痩せぎすになった母の腕やこけた頬。
病に侵された母の姿が脳裏に鮮明に蘇り、思わず涙がこぼれそうになった。
地面を強く蹴って足を速め、なんとか自分をごまかす。
(ここまで、来れば、大丈夫かな…。)
橋を渡り、気付けばかなり遠くまで来ていた。
秋だというのに、汗が頬から滴り落ちる。
その汗が地面に落ち、吸い込まれて行くのを見ると急に疲れがどっと吹き出してきた。
烏の乾いた鳴き声が頭の中に響いてくる。
しばらく膝に手を付き頭を下げ、ぜいぜいと息を整えた。
と、橋を走って渡ってくる人影が脚の間から逆さまに見える。
こんな日中に外套の頭巾を目深に被っているためか、かなり怪しく思えた。
__黒い髪を振り乱し、翡翠色の眼がカッと見開かれている。
ラトキア人だった。
バトラー商店の印が描かれた布を腰に巻いている。
この間の辻斬りだろうか……。
この前の商人の時とは比べ物にならない量の血が大きな傷口から流れ出し、石畳に血だまりを作っていた。
全力で走っていたはずなのに、頭から爪先まで氷に浸かったように冷たい。
足が震えだすのをなんとか堪えていると、突然背後から腕をガバッと掴まれた。
飛び上がって振り向くと、そこに立っていたのは鬼のような形相の母だった。
怒りで耳まで真っ赤になっている。
「馬鹿、一人で出歩くなってあれほど……!帰るわよ!」
「でもアイアスは!?あの子も危ない目に遭ってるかもしれないよ!この人みたいに!」
無我夢中で娘を連れ戻そうとするする母だったが、イーリスの一言で倒れているラトキア人が目に入ったようだ。
とたん、赤かった顔が一変してどんどん白くなっていった。
「いいから早く!逃げるの!」
アイアスのことはどうでも良いと言いたげな母の言葉に違和感を覚える。
ついに冷や汗を流し始めた母の顔からは、怒りを通り越して狂気まで感じられた。
「もういい!放して!」
以前の面影が消えた母に恐怖を感じ、逃げるようにイーリスは駆け出した。
* * *
アイアスは細くうねった路地を曲がっては走り、走っては曲がりを繰り返していた。
(母さんは俺が助けるんだ!)
元気だった頃の母の笑顔も、はっきりと思い出せないほど昔のものになっていていた。
アイアスにはそれが悲しくて悲しくて仕方がなかった。
仕事で疲れて眠り込んでいても目が覚めるほどの大きな咳をしていた母。
骨が浮き出た背中を何度さすったか…。
子供の自分にも分かるほど痩せぎすになった母の腕やこけた頬。
病に侵された母の姿が脳裏に鮮明に蘇り、思わず涙がこぼれそうになった。
地面を強く蹴って足を速め、なんとか自分をごまかす。
(ここまで、来れば、大丈夫かな…。)
橋を渡り、気付けばかなり遠くまで来ていた。
秋だというのに、汗が頬から滴り落ちる。
その汗が地面に落ち、吸い込まれて行くのを見ると急に疲れがどっと吹き出してきた。
烏の乾いた鳴き声が頭の中に響いてくる。
しばらく膝に手を付き頭を下げ、ぜいぜいと息を整えた。
と、橋を走って渡ってくる人影が脚の間から逆さまに見える。
こんな日中に外套の頭巾を目深に被っているためか、かなり怪しく思えた。