君の隣
私は、夜に宿を出て行き、ぐちゃぐちゃの家に戻った。
なつ「はぁ・・・。とりあえず、片付けよう・・・。」
片づけていると、
ガタッ。
誰!?また盗人?
バッと振り向き、刀に手を置く。
するとそこに立っていたのは、呆れ顔の高杉だった。
高杉「お前なぁ・・・。いきなりこんなもの置いていなくなったら驚くだろう?」
と、私が書いた書状をヒラヒラさせた。
なつ「ごめんね。せっかく、呼んでくれたのに・・・。」
高杉「いや。」
なつ「ありがとう。」
高杉「なぁ・・・。なつ・・・。お前さぁ、稔麿と夫婦になるのか?」
なつ「何で・・・知ってるの?」
何故だか悪いことをしているような罪悪感・・・。
高杉「さぁな。稔麿と夫婦になるのか?」
なつ「返事は落ち着いてからで良いからって・・・。」
高杉「そうか・・・。稔麿の事、好いてるのか?」
なつ「高杉に関係ないよ。片付けしないと。」
稔麿さんの事は、好いてるけど、この好いてるは、きっと、友人としての好きだ。
自分の気持ちを、相手がいる高杉に言う勇気なんかないし、言ってはいけない。
冷たく言った私に、高杉は、ブツブツ言いながらも、片付けを手伝ってくれた。
ふと、高杉を見ると、崩れそうな本に手をかけていた。
なつ「ちょっと!高杉!こっちからしないと、ダメだよ!そこからしたら・・・うわっ。」
積んでいた本や書状が崩れ落ちた。
高杉「早く言え!何で俺が、こんな事・・・。」
なつ「だから、手伝わなくて良いって言ったのに!」
高杉「お前、手伝ってもらっておいてそれを言うか?」
なつ「ありがとう。」
本を片づけていると・・・。
指が触れ合う。
なつ「あ・・・。ごめ・・・んっ。」
手を引っ込めて、顔を上げると、目の前に顔があり、口付けされた。
すぐ、離れようとすると、頭の後ろに手を置かれて、唇を啄まれた。
思考が甘く痺れる。
ダメだ・・・。このままだと、もっと、欲しくなる・・・。
なつ「止めて・・・。」
高杉はすぐに離れて、「すまん。」と言い、出て行った。
私は、思考が止まり、しばらく動けなかった。
私は、部屋を片付け、すぐに萩へ帰った。
正月を迎えた。文久2年。
1月2日。土佐の人達が来た。
なつ「初めまして。」
「どーも。」
髪の毛がクルクルの人が、隣に座る。
なつ「なつと申します。」
坂本「坂本 龍馬と申す!ここの人等は、面白い人が多いのぉ!」
なつ「師が面白い人だったので。」
坂本「そうか!俺も会いたかった!」
なつ「坂本様なら会ったらきっと、話が弾みますよ!」
私達は、すぐに、仲良くなった。
私は、それからしばらくして、高杉が上海に行くことを知った。
そっか・・・。良かったね。
どうか、無事な旅になりますように・・・。
そして、数ヵ月経った頃、私は、下関へ行く。
下関の豪商、白石 正一郎様という人を訪ねるためだ。
調べると、尊皇攘夷で薩摩の西郷隆盛とも親しいと聞いたからだ。
なつ「・・・。坂本様!?」
そこで、坂本様に会ったのだ。
坂本「なんという偶然だろうな。」
なつ「はい・・・。驚きました。」
そして、数日、話に話した。
坂本様も、もう発つということで、別れた。
私も、白石様と面識が出来たので、このまま江戸へ行く。
江戸では、井伊直弼に続き、つぎの大老の安東信正も攘夷派に襲撃され失墜した。
攘夷派に脅されて、幕府は、将軍家茂公に上洛を迫られた。
その頃、京は、尊皇攘夷派の奴らで治安が悪かった。
天誅!と言って人を斬る者がいたり、攘夷派だと言って、店などから、金品を巻き上げる輩までいた。
そこで、幕府の清河八郎という人が、表向きは、公方様をお守りするという名目で人を集め始めた。
しかし、これは、表向きの名目で、攘夷運動をする集団を作りたかったのだ。
なつ「さすが坂本様。見抜いていらっしゃった。」
先日の話にこの話が出ていたのだ。
中身は、罪を犯した者でも、罪を帳消しにするといった内容で、ゴロツキなんかも多く、この募集に飛び付いた。
私は、試衞館を訪ねる。
折角、江戸に来たんだから、皆さんとの決着を付けに行こう。
門下生「先生達は、出稽古へ行きました。」
尋ねるとそんな事を言われた。
なつ「そうですか・・・。」
門下生「はいっ!今回は皆様で行かれたんです。」
なつ「そうですか・・・。ありがとうございます。」
どうしよう・・・。
出稽古先に行ってみようか?
いやいや、そこに行ってもなぁ・・・。
そんな事を考える。
実は、最近、久坂さんが、長井様の排斥運動を続けて長井様の活動に陰りが見え始めた。
公武合体の薩摩藩主の父上、島津 久光様が千人の兵を率いて京に上ったのだ。
島津様は、朝廷に願い出て、幕府改革の為の勅使を江戸にさし下す事に成功した。
外様大名が、朝廷の権威を盾に幕府内に乗り込んで行くなんて・・・。
こんな事、全く考えられないこと。
島津様もキレるお方なんだ・・・。それとも、下の方が切れ者か・・・。
薩摩の行動の前に、長州の公武周旋は、霞んでしまった。
そして、朝廷から、長井様の建白書には朝廷を誹謗する言葉があるので藩主の弁明を聞かせて欲しいという知らせが来た。
そして、長井様は、中老雇を免ぜられ失脚した。
そして、藩は、朝廷の趣旨に沿い、攘夷を断行するとの方針を打ち出した。
それは、開国から攘夷へと藩の考えを真反対に変えた事になった。