雲外に沈む 妖刀奇譚 第弐幕
対する矢田はというと、ぞっとするほどの無表情でそこに突っ立っている。
警戒して見続けているうちに、思葉は矢田の身体が時折ぼやけてよく見えなくなることに気づいた。
黒い靄のような霧のような、ぼやけた輪郭が彼女を覆って姿を見えにくくさせている。
それは鼓動を打っているように蠢いているが、生き物と同じには感じられなかった、それとは真逆の、冷えきった死者の気配に近い。
しかし、だらりと両腕を下げて立っている矢田にはわずかであるが生気を嗅ぎとることができた。
思葉の前に立っているのは本当に矢田だ。
けれども違う。
もうひとつ、そこに居る。
「あなたは誰なの」
鋭く問うと、矢田は寛大さをアピールするように両腕をゆっくり広げて穏やかに言った。
「皆藤さん、そんなに怖い顔をしてどうしたの?
誰って決まっているじゃない、わたしは矢田朋美だよ、おかしなことを――」
「違う、あなたは矢田さんじゃない。
矢田さんの身体を使って、一体何をしているの。
そこにいるあなたは誰なの?」
矢田の両腕が再び力なく下ろされる。
ひとつも感情の読み取れない顔つきのまま、矢田が一歩思葉に近づいた。
思葉も後ずさり、いつでも逃げられるように身構える。
「……ばかな女だ」
矢田が発した声は、今までの彼女の声ではなかった。
生身の人間のものではない音色に、思葉の全身を恐怖が走り抜ける。
「このまま気づかずにいればよかったものを。
ろくな術も持たず中途半端な鋭さだけに頼るとは愚の骨頂だ。
まあ、うぬが何を感じようがどうでもいい。
気づこうと気づくまいと、うぬが逃げる道はもうないのだからな」
うっそり妖しく微笑む矢田の双眸は危険にぎらついていた。
獲物に狙いを定めた肉食獣のようだった。
いや、それよりももっと危ないのかもしれない。