雲外に沈む 妖刀奇譚 第弐幕





「お前だっておれを愛してくれてるんだろう?


言ってくれただろ、『わたしは絶対にあなたを裏切らない』って。


裏切らないなら……おれを愛しているのなら、一緒に死んでくれるよなあ?」



歪に嗤う彼が、逆手に握り直した包丁を高く振り上げる。


それに、急に一人の女の子の姿が重なった。


黒地に白いラインと赤いネクタイが映えるセーラー服を着て、小振りのナイフを同じように握っている。



(あれは……矢田、さん?)



瞬間、思葉は目を見開いて息を止めた。


頭頂からつま先へ、大きな衝撃が電流のように駆け抜けていく。


同時に、本来の思葉の記憶が一気に溢れだした。



(そうだ、あたしは神社にいて、矢田さんと話していたんだ。


急に様子のおかしくなった矢田さんから逃げて、でも逃げきれなくて、匂い袋を取られたら意識が遠のいて……


それが正しい記憶だ。


あたしは一人暮らしなんかしていない、付き合っている人だっていない、そもそもこんな人は知らない)



今見ているこの光景は、この身体は、思葉のものではない。


どうしてこんなにも奇妙な景色を当たり前だと思っていたのだろう。


名前だけが聞き取れない自分の声も相手の声も、普通のことではないのに。


矢田の話を聞きたいと思っていたときと同じように、また自分の精神をコントロールされていたのかもしれない。



(逃げなくちゃ……この身体にいる間に刺されたら、きっと死んでしまう)



思葉は目の前にいる見知らぬ男を睨みつけて必死に念じた。


武士が鎧を解くように、この身体から脱出する自分を想像する。


くっ、と男の身体に力がこもって、包丁が左胸に沈められた。


しかし痛みは感じない、そのうえ彼の動きはピタリと止まっていた。


視界が古写真のように色褪せ、何の音も触感も感じなくなる。


抜け出せたのだと分かり、思葉は急いでこの場所から離れる自分を想像した。


どこでも構わない、遠くへ。


するとどこかへ自分を引っ張る強い力をおぼえ、それに身を任せていく。




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