雲外に沈む 妖刀奇譚 第弐幕
「檆葉丸(すぎのはまる)――――――――っ!!!」
『思葉っ!!』
直後、頭上から別の付喪神の声が響いた。
その声を聞いた瞬間、思葉は自分の内側に軸ができたような気がした。
名前も思い出せず宙ぶらりんで不安定だったところがなくなり、自分を取り戻せたのだと感じる。
(ことは……そうだ、あたしの名前は、思葉だ)
手足の先まで血が巡り、思い出せなかった自分自身の記憶が清流のように噴き出してくる。
同時に、この常闇の空間にいる感覚が薄らぎ始めた。
激しく渦巻く風を感じるが、それは思葉の盾となり彼女を脅かす外側のものを攻撃しているようである。
包み込まれているような温かさが心地いい。
その風の中に、幽かであるが知っている気配を感じ取った。
自分を護ってくれると言ってくれた付喪神が、この近くにいる。
「チッ」
強い舌打ちが聞こえて、思葉は吹き荒れる風の中目を開けた。
渦巻く風の向こう側に付喪神がいる。
風のせいで近づくことができないようで、悔しそうに顔をゆがめてこちらを睨みつけていた。
血塗れの刀がてらてらと光っていて不気味である。
けれども、あれほど突き立てられていた腹部の痛みはきれいになくなっていた。
そっとさすってみるが傷はどこにもない。
「また我の邪魔をしおって、忌々しい刀だ……が、おめおめ逃がすと思うか」
地を這うような低い唸り声に、付喪神の輪郭が怪しい光を孕んで揺らぐ。
背後に蠢く気配を感じて振り返ると、暗闇の奥で、思葉を追いかけていた触手が風の壁にじわじわと手を伸ばしてきていた。
『思葉、こちらへ来い!このままではまた引き込まれるぞ!』
「い、行くってどこに……」
『おれの声が聴こえる方向へだ、早く!』
思葉が頭上を仰ぐと、高いところに小さな光が観えた。
そこから玖皎の気配を感じる。
あそこへ行けば、そう思った途端、強い力でそちらへと引っ張られ始めた。
思葉はそれに身を任せて力強く地を蹴る。
捕まえようと伸びてきた手が暴風に削がれ、付喪神の姿がどんどん遠ざかっていく。
その背後に、あの白い女が立っているのが見えた。
付喪神に寄り添うようにしているその人からは、こちらへの敵意を感じない。
あの女の人は誰だろうか。
考えるより早く視界が真っ暗になり、何も観えなくなる。
目を開けているかさえも分からない闇の中で、誰かの小さな声が響いた。