太陽に恋をして
「でね、親は手に職をつけろって言うんですよ」


沙耶さんは、お客さまの話に大きく頷きながらも手は止めず、ロッドに髪を巻きつけその上からペーパーを巻いた。
流れるようなその動きを止めないように、俺は差し出された左手にタイミングよくゴムを乗せる。

沙耶さんはパーマをかける時、ロッドとペーパーは右手で受けとるけど、ゴムだけは左手で受けとるのだ。



「看護師とか介護士とか取っとけば、女でも一生働けるからって。私は未婚前提かよって感じ」


カラーとパーマをあてにきたOLのお客さまは、転職しようか悩んでいるらしい。


「美容師さんも国家資格ですよねぇ?」


鏡越しに目があって俺は、そうですねと返事をする。


「お二人はなんで美容師になろうと思ったの?」


他愛もないお客さまの質問に、沙耶さんは手を動かしながら、あっけらかんと笑って、


「私が高校生のころ、美容師が主役のドラマがあって、それがかっこよくて」


と答え、単純で申し訳ないんですけど、と付け足した。


「お兄さんは?」


お客さまは笑いながら、鏡の中から俺を見つめる。


「俺は…」


楓佳のためだ。


楓佳は昔から美容院が嫌いだった。

『あの美容師との不毛なおしゃべりの時間も、シャンプーの時に顔に乗せられる白い布も、どうせ何も言えないのに毎回聞かれるかゆいとこないですか、の質問も何もかもが嫌い』

そう言って、なかなか美容院に行かず、いつも髪を伸ばしっぱなしにしていた。

そして、黒く長い髪が貞子みたいになった頃やっと、めんどくさいとぶつぶつ言いながら美容院に向かった。


だけど、本当は楓佳が雑誌のヘアアレンジ特集なんかを真剣に見ているのを知っていたから。


楓佳の髪を切る。


ただ、それだけのために。



俺は美容師になった。



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