白衣の変人
墨原は声で真璃のいる方向を把握したのか、そちらを向いて長い前髪を掻き上げながら合わない焦点のまま真璃を睨んだ。


「君は私の質問を聞いていたのかね?眼鏡とマスクはどこだ。今すぐ出せ。」


真璃はその迫力に一瞬怯んだが、それでも手に持った眼鏡とマスクを返さなかった。この人なら力ずくで取り返すこともできるだろうに、それをしないのはきっと見えていないのだ。だから、もしかしたら真璃が持っているのも知らず、どこかに隠したとか思っているかもしれない。


「私の質問に答えてくれたら返しますよ。」


楽しげな声で話す真璃に、墨原は舌打ちをして答えた。


「……ああ、悪い。眼鏡がないと何も見えない。さあ、答えたから返せ。」


真璃は手を伸ばしてくる墨原をスルーし、更に質問を重ねた。


「どうしてマスクつけてるんですか?」


「病気の予防と……いつでも実験ができるように。」


不貞腐れたように、それでもしっかりと答える墨原は真面目なんだろう。


質問の最中、墨原が見えないのを良いことに、真璃は墨原の顔を凝視していた。その整った顔立ちは隠すには余りに惜しいもので、できることならそのボサボサの伸ばしっぱなしの髪の毛も切ってセットしたいくらいだ。


「……汐沢君、いい加減返さないか。」


いよいよ怒り始めそうだと悟った真璃は今度は素直に眼鏡とマスクを返した。墨原はそれらをすぐにつけて、溜息をついた。


「早く来たのは殊勝な心がけだと思うが、仮にも雇い主が寝ている間に身に着けているものを取るのは人としてどうなんだ。」


元の怪しげな研究者の容貌に戻った墨原は嫌味全開で、それでも今回は仕方ないかと真璃は何も言わない。


「全く……こんなにもモラルのない人間がこれから社会に出てくると思うと日本の将来が心配になってくる……。」


ブツブツと文句を言いながら、墨原は立ち上がって机から紙束を取り出して真璃に渡した。紙には墨原が講義で使うもの、使う教室などが書かれており、墨原の講義は抜き打ちテストなどが非常に多いことが分かった。つまり、運ぶプリントや資料は山のようにある。それを、講義開始時刻までに教室に運ばなければならないというのだ。


「午後はみっちり講義が入っている。使う教室も、資料もそれぞれ違う。せいぜい頑張りたまえ。ほら、時間は有限だぞ?」


時計を指差しながら墨原はニヤニヤとした。時間はあまり残されていないと知った真璃は急いで資料を規定の教室に運び始めた。
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