白衣の変人
「こ……れ……で全部……。」


全ての資料、道具、プリントを運び終えた頃には真璃はくたくただった。何せ墨原の研究室から使用する教室まではそれなりに距離があったし、運ぶ量は現実逃避をするレベルだった。時間もなかったから、真璃は全力で走る他選択肢がなかったのも原因の一つとして挙げられる。


汗だくになり、髪は乱れ、教室前で息切れを繰り返す姿は人目を引いたが、真璃は今それすらも気にはならなかった。


学生達は続々と教室に入り、それぞれ席に着いていた。きっとそろそろ講義が始まるんだろう。教室前で肩で息をしていた真璃の横を、墨原が颯爽と歩いて行く。丁度真横にきた時、真璃にだけ聞こえる声で墨原は、


「まだ講義は残ってる。こんな所で休む暇はあるのかね?」


と言った。そう、真璃の仕事はまだ終わっていない。真璃は恨めしそうに墨原の後姿を見送った後、ふらふらと墨原の研究室に戻り、次の講義に使う物を持ち上げるのだった。





最後の講義に使う物を運び終え、真璃はそのまま廊下にへたり込んでしまった。一体どれだけ往復しただろうか。講義が終われば片付けも勿論真璃の仕事であるし、それだけ言えばまだ仕事は残っている。


それでも、今日はもう別の教室に運ぶことはない。このまま墨原が講義を終えるのを待てば良いのだ。ふ、と真璃は講義真っ最中の教室を覗き込んだ。


(どんな感じでやってるんだろ……。)


当たり前だが、高校とは違い大きく広い空間。長い机と椅子がその広い空間いっぱいにあり、そこには沢山の生徒が座っている。ほとんどの者は緊張感のある面持ちで墨原の話を聞いていたが、やはり中には下を向いて何かをいじっている者なども居た。


(怒られたりしないのかな……。)


大学は自由な分何事も自己責任というところが多い。講義も例外ではなく、聞いていなければテストで点を取れなかったり、レポートが酷かったりで単位を落とすことだろう。だからこそ、わざわざ教授は話を聞かない生徒に構ったりはしない……が、墨原はどうなのだろう、と真璃は考えていた。


嫌味ったらしくネチネチと言ったりしないのかと思って見ていたが、そういう様子はなかった。ただ淡々と、真璃には一切理解できないような難しいことを説明している。その姿は研究室のあの男とは少し違って見えた。


講義終了五分前、墨原はレポート課題を生徒に言い渡して、何故かこちらに視線を向けた。


「汐沢君、もう講義は終わる。これを私の研究室へ運んでおけ。」


そう言って、恐らく講義最初に実施したのだろうテストの山を渡された。それでも、まだ大量の資料などが墨原の前に置かれている。


「あの、こっちのは運ばなくていいんですか?」


真璃が資料を顎で指して言うと、


「君は私に言われたことだけやればいい。……それとも、その非力そうな腕でここにある物全て今すぐ運んでもらえるのかね?」


いつものように皮肉交じりで返された。少々不満に思いつつも、真璃は紙束を両手で持って墨原の研究室へと向かった。
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