白衣の変人
引きこもりとチャラ男
金曜日、この日はバイトがなく、真璃は音符でもつきそうな勢いで学校を出た。あの嫌味な男と会わずに済む、あの重労働をしなくて済む、それが嬉しくてたまらなかった。が、その喜びはたった一つに着信で壊される。


今時普通の電話という機能を使う人自体少ないが、何よりその着信は非通知だった。誰だろう、とまあなんとなく嫌な予感はしていた真璃だが、一応出た。


「はい。」


『汐沢君か?』


この低音、この呼び方。残念ながら一人しか思い当たらなくて、真璃は今すぐ電話を切りたい衝動に駆られたが、それは寸でのところで留まった。


「はい、あの……どなたでしょう?」


分かってはいたが、小さな希望にかけてみた。だがその希望は数秒後に粉々に破壊される。


『墨原だ。』


ガーン、と漫画なら表現されただろう。真璃は更にする嫌な予感に対して心の中で神に祈りを捧げていた。何も言わない真璃に、墨原はそのまま通話を続けた。


『君は昨日、忘れ物をしなかったか?』


真璃は暫く考えたが、思い当たる物はない。昨日と同じスクールバッグを持っているから、今確かめればいいのだが墨原に聞いた方が早いと判断した。


「特に思い当たらないのですが……。」


スマートフォン越しに大きな溜息が聞こえた。ああ、これは……と、短い付き合いだが真璃は察した。嫌味が飛んでくる、と。


『まさか忘れ物にも気付いていないとは……なかなか高い注意力をお持ちのようですな君は。それとも、自分の持ち物すら記憶できない程度しか脳みそが詰まっていないのか……。』


ねちっこい話し方は苛立ちを増大させる。恐らくこの男は狙ってやっているのだろうと真璃は思っていた。さっさと何を忘れたのか言えばいいのに、すぐには本題に入らずネチネチと相手をいたぶる。真璃は売り言葉に買い言葉で返した。


「墨原教授はお忙しいのでしょう?そんな嫌味を言う暇があるなら早く何を忘れたのかおっしゃったら如何でしょう?」


『ほ~……私のことを良く理解して頂けているようで光栄だ。たった数日で、とても素晴らしい。その理解力がありつつ、己の忘れ物を把握できないというのは実に嘆かわしいことだが……まあいい。私の研究室に見慣れない鍵が落ちていた。恐らく家の鍵だと思われるが……。』


嫌味を言ったら更に嫌味で返された。こんな街中で、女子高生が大の大人(しかも大学教授)と嫌味を言い合っているなんて誰が思うだろう。それでも、話が本筋に戻ったので真璃は良しとした。そこではっとする。真璃は肩にかけていたスクールバッグをまさぐり、中を見たが確かに家の鍵がなかった。


バイトから帰った時は母が家に居た為、鍵を使わなかったので気がつかなかったのだろう。不覚だった。


『それで、君の物なのかそうでないのか……。』


「多分私のです……。」


家の鍵なんて物ではなければ次のバイトの時に持って帰ればよかったが、そうはいかない。短縮授業のおかげで帰宅が早い彼女の家には人がいない。つまり、このままでは家に入れない。


『必要ならば早く取りにきなさい。そうでないなら次回のバイトの時でいい。』


言うだけ言って、墨原は電話を切ってしまった。無論、真璃に残された選択肢など一つしか残っておらず、学校を出た時とは真逆のテンションで霧ヶ波大学へと向かったのだった。
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