ジキルとハイドな彼
なんとか全ての業務を完了した頃には夜9時を過ぎていた。

下関先輩は気配を消して何時の間にか帰っていた。

「お腹空いた…」独り言ちながら両手を頭の上で組み、身体を伸ばす。

しかし、忙しさを乗り切った達成感が妙に清々しい。

会社から出るとビル風が吹き付けた。

身を縮こませキャメルのカシミアストールを鼻までずり上げる。

月曜日から張り切り過ぎたかしら。

今日は自炊する気にはなれなかったので、最寄り駅に到着するとコンビニに寄ってお弁当を買っていった。

ビニール袋を下げながら商店街のアーケードを歩く。

ふと誰かに見られている気配がして後ろを振り返る。

しかし、寂れた商連街に自分の他に歩く姿は見当たらない。

気のせいか。

肩で息をつき、再び歩き始めると骨董品店の前に差し替える。

ついクセで既に閉まっている店の中を覗き込んだ。

いる訳ないわよね。

ふと昨日のキスが頭を過った。

ああっ、あれは事故、事故だわ。

頭をブンブン振って回想を振り払う。

日中は仕事に没頭して色々な事を考えないようにしていた。

自分の気持ちに蓋をして不安や怒り、寂しさなどを見て見ぬふりをする。

そうやって徐々に考える時間が減り、やがては過去として清算していく。

新しい恋は失恋の特効薬、なんて言う物のの、聡は特効薬どころか麻薬だった。

…皮肉にも色々な意味で。

苦しみから逃れたいがために、安直に特効薬に飛び付くのは危険行為だ。

だから、コウとのキスも意味がある訳ではなく、単なる事故だと割り切るようにしている。

心の傷を癒すのはやはり『時間』なのだ。

気を取り直し、踵を返すと私は速歩きで家に向かった。
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