夜を駆ける

「スンホン、あんたの好きな蜂蜜を持っていくから、家族に姿を見せてやりなよ」



「お姉ちゃん、ごめんね。自分のこと、よく分かってなかったんだ」

 顔の前に手の平を透かして、手の平越しにこっちを見た。

「言うことを聞かないと…殺されると思ってた。本当は怖くて気絶したから、なにも覚えてないんだよ」



 ふふっと無理に笑う。

「なんで、わからなかったんだろ。体なんて、こんなに軽くて空も飛べそうなのにね」



「必ず探すから。枕元に立って場所を教えて」

「うん…みんなの所に帰りたいよ」


 ぽろぽろと光の粒をこぼしながらスンホンは笑った。

「必ず、見つけて」

「大丈夫。必ず連れて帰るから」


 きゅっと唇のはしがあがる。



 あたしは、今、笑えているだろうか。スンホンを安心させているだろうか。ほんの少しでも気をぬいたら、涙がこぼれてしまいそうになる自分を叱りつけて精一杯の笑顔を作っていた。

 
 最後に振り返ってから手を振って、すうっとスンホンの姿は薄くなり闇に紛れた。



『分かってるんだろうな』

 黒い獣が声をかけてきた。

「分かってるよ」


 今から虎を殺すんだって。自然なら食べるためにしか殺生は行われない。

 あたしが今から手を下すのは食べる為じゃない。スンホンが欲しがったホンサムのように、薬としてでも、毛皮のためでもない。

 人間を脅かす害獣として、人食い虎を倒す。



 もっと抵抗するんだと思ってた。あっさりしすぎだ。


『泣いてるのか』

「人間は泣いて送られることになっているんだよ」


 ぐずぐずと鼻水をすすりあげる。


『オレハ ヒトカ』

「話してるじゃない、あたしと。感情のあるものとは分かりあいたいじゃない」



『オマエ ヘンダ』



 ぽろぽろと虎も涙をこぼす。


 虎のしたことは、酷いことだったかもしれない。でもそれは愛から出た怒りなんだ。

 憎みきれないのは、そのためなんだ。



 早くしろと黒い獣がせかす。仕方なく涙を拭って、虎に話しかける。

「また、会おうね」

 虎は目を閉じて、その時を待っている。手刀を作って、虎の首に当てる。

 勢いよく振り下ろすと、ゴキンと骨が砕け外れた。外れた骨は気道を圧迫し、神経を断絶させ、脳に流れる血が止まる。

 やってくるのは、ゆるやかな死だ。



『覚えておけよ、話したこと、やったこと全部。お前が覚えていなかったら、忘れ去られるだけだ』

「忘れられる訳ないじゃない」



 そして、また涙が溢れてきた。


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