櫻の王子と雪の騎士 Ⅱ
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残されたグロルは、しばらくすると立ち上がり、服に付いた塵を片手で払う。
ぼんやりとジンノの去ったその場に一人佇む。
すると、回廊にもう一つの足音が。
高く響くヒールの音。
「......ふふ、随分と酷くあしらわれていましたわね」
クスクスと笑い声と共に姿を現す、全身黒い衣装で包まれた同じく黒髪の女性。
「......何のようだ」
グロルは冷たく言い放つ。
「別に。回廊の前を通りかかったら貴方の話し声と、ジンノ様の芳しい闇の魔力の香りを感じたものですから、興味があって聞き耳を立てていただけですわ」
何の悪びれもなくそう答える女性の胸元には、グロルと同じフィンス家の家紋の入ったブローチが付けられている。
「お気に入りのジンノ様、これで諦めてしまいますの?」
「......いいや、諦めはしない。だが、やはりあの男から崩すのは少々手間がかかりそうだ」
あの男。
もちろん、ジンノのことだ。
「まったく......素晴らしい男だよ。あの反抗的な態度も野獣のような瞳も。私がこの国の全てを手に入れた暁には、必ず手中に入れてやる」
グロルの瞳が真っ直ぐにその女性の元へと向けられる。
「その為にはお前がヘマするわけにはいかない。分かっているな?」
「ええ、勿論。あの老いぼれ補佐官と一緒にしないで下さる?万事順調、貴方に口出しを受けるまでもないわ」
「......気を抜くな。お前の相手をしている男は未だ謎の事柄が多過ぎる」
らしくないわね。
そう言って女は笑う。
真っ赤なルージュが、弧を描く。
ドレスを掴む指をそっと離すと、空中に複雑な文字を綴り始めた。
その文字が消えるとともに、小さな黒い式神が姿を現す。
「ちゃんと監視もつけてます。少しでも動きがあれば分かりますわ」
小さな式神は女が掌を閉じると姿を消してしまった。
グロルは女を見つめる。
そこには何の感情もない。
唯一あるとすれば、疑い、だけか。
(......この人は相変わらず、誰のことも信用しちゃいないのね)
女は小さく溜息をつき、視線を上げる。
そして微笑みながら言うのだ。
「私は貴方を裏切ることもないし、ヘマもしませんわ。私のプライドにかけて。だから少しぐらい信用してくださらない?」
ねぇ
「お父様──」
女のその声に、グロルが応えることはなかった。