今夜、上司と恋します


「さ、行くか」

「え?あ、はい」



キスをした後、極上の笑みだけをその顔に乗せて彼は素っ気なく言った。


今のキスの理由も、さっきの言葉の意味もわからない。
いや、ただの独占欲なだけかも。


好きとか、そういうのじゃなくて。


俺の抱いてる女が、他の男に抱かれるのが嫌なだけ。
闘争本能とか、そういうヤツ。




だって、彼はやっぱり行為の時以外は私の事を“坂本”と呼ぶ。



彼の口から蛍と、甘い言葉で紡がれるのはあの行為の時だけだ。



その時だけは、可愛くもない自分の名前を好きだと思えた。



「また会社で」

「はい、いつもありがとうございます」



ラブホテルを出た後、定型文になってしまった、この別れの会話。

私だけをタクシーに乗り込ませると、佐久間さんは運転手にお金を渡す。


薄く微笑む彼に、軽く手を振った。


彼は一緒には乗らない。
いつもどうやって帰っているのか、知らない。


私は彼について、本当に何も知らない。
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