ウ・テ・ル・ス
 秀麗にしてみれば、それなりの勇気を振り絞って、このランチで初めてプライベートな話題を切り出したのだ。しかし、秋良は何事もなかったように振舞う。肩すかしを食らった失望感で、噛み切ったセロリがやけに苦く感じた。
「久々に、お金に糸目はつけない超VIPからのオファーよ。自分でも妊娠できるのにオファーするなんて、動機に不純なものを感じるけど…。」
「いつも言っているだろう。俺たちのビジネスに動機なんて関係ない。」
「そうでした…でもね、超VIPだからこそ胸騒ぎがするのよ。決しておとなしいクライアントじゃなさそうだから…。」
 秋良のスマートフォンがテーブルの上で震えた。秀麗に『すまない。』と手のひらを向けると、スマートフォンを取った。三室からの電話だった。
「この前、社長が結果が判ったら教えろと言ってた、宅配便のお姉ちゃんの検査ですが…。」
「ああ。」
「見事に合格ですよ。」
「そうか…。」
「これから彼女に連絡します。」
「いや…俺が行く。書類を机の上に置いといてくれ。」
「えっ、また社長がですか?」
「不都合でもあるか?」
「いえ、別に…。それではよろしくお願いします。」
 不服そうな返事に、秋良が電話を切りかけると、三室が慌てて話しを継いだ。
「あっ社長、ちょっと待ってください。」
「なんだ?」
「どうでもいいことなんですが…。」
「だから、なんだ?」
「彼女はあの歳で珍しく…処女のようですね。処女なのに受胎するなんて、まるで聖母マリアだ。」
 秋良は三室の余計な無駄口に、何の返事も返さず電話を切った。秀麗はそんな秋良の口元に、わずかながら微笑みが浮かぶのも見逃さなかった。

 真奈美はスーパーの野菜売り場で悩んでいた。家に戻ってきた母も、そろそろ病人食ではなくてまともな家庭料理が食べたいに違いない。今夜は肉野菜炒めでもと思ったのだが、思いのほかネギが高い。なんとか今月の返済日は乗り越えたものの、財布の中にお金が無いのは変わらなかった。これからわずかでも豚バラも買わなきゃいけないし、まさかもやしだけの野菜炒めと言うわけにはいかないし…。財布の中身を覗き込みながら、思案に暮れていた。
「そんなに悩んでいたら、夕食に間に合わないぞ。」
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