ウ・テ・ル・ス
「若干…。しかし体型が目立ってくる前に渡航する手はずですから、来月クアラルンプールへ行く予定です。奥様には、出産予定日の1カ月前に行っていただきます。」
「そう…。やはり妊婦を直接見ると実感できるものね。楽しみにしているわよ。」
 代議士夫人はそう言うと、秘書達を引き連れて満足そうに立ち去っていった。一時的ではあるが、代議士夫人の信頼を得ることができた秋良は、そっと胸をなでおろす。偶然とはいえ、買い物に連れ出してくれた真奈美に感謝した。
「何度もごめんなさいね。」
 真奈美がトイレから戻ってきた。
「さあ、買い物も済んだし、これから水天宮へいくわよ。」
「水天宮?」
「今日は戌の日だから安産祈願をしましょう。」
「ちょっと待てよ。」
「あっ。」
 突然、真奈美が秋良の腕を強く握りかがみ込んだ。
「どうした?」
 真奈美の身体の変調を心配して慌てる秋良。
「お腹の中の…動いた。」
 若い二人はぎょっとして、真奈美のお腹を見つめ続けた。

三越の車寄せで黒塗りの高級車に乗り込んだ代議士夫人は、手袋を取りながら運転席の秘書に話しかけた。
「あなた、クアラルンプールで多少荒っぽい仕事を頼める知り合いはいるの?」
「はい、ツテをたどれば見つかるかと。」
「そう…。」
 代議士夫人は車窓から街を眺めながら考えを巡らせた。どうやってあの田舎娘を妊娠させたか知らないが、今のところ事は順調に進んでいるようだ。何か妙な胸騒ぎを感じていた。あの社長があの田舎娘を見ていた目が、どうも気に入らない。子どもを得るためには、万全を期していた方がいい。代議士夫人は、運転する秘書に指示を出した。

 真奈美がキッチンでデザートの準備をしていた。フルーツの皮を剥き、棚の上にある大きな皿を取ろうとつま先立つと、何も言わず秋良が背後から手を伸ばし、皿を取ってくれた。日頃は知らんぷりをしているような秋良だが、実は自分の背中を見守っているのだということが感じられて、真奈美も少し嬉しかった。
 膨らみかけたお腹を抱え、よっこらせと歩きながらリビングのデスクにフルーツを持ってきた真奈美。秋良は言った。
「おい、このままここに居ていいのか?」
「なんで?」
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