ウ・テ・ル・ス
「真奈美も解っていると思うが、来週の定期検診が終われば、すぐクアラルンプール行きだ。日本にいるうちなら自由に戻ることもできるが、向こうへ行ってしまったらそう簡単に戻れない。ましてや子どもが生まれたら、その子を連れて帰国なんて至難の業だ。いくら俺でもどうにもできないぞ。」
 真奈美は黙ってフルーツを口に運んでいた。
「それとも子どもを手放すつもりなのか?」
 真奈美がフルーツフォークをテーブルに置いて、秋良を正面から見据えた。
「秋良は何もわかっていないのね。」
「どういうことだ。」
「私のお腹の中にいる赤ちゃんは、あなたの赤ちゃんよ。手放すかどうかを決めるのは、私じゃない。秋良、あなたなの。」

 その夜、秋良はベッドが揺れた気配で目が覚めた。見ると真奈美が自分のベッドに潜り込んでいる。何のことか理解できずに秋良は、眠っている振りをしていると、やがて真奈美は彼の手を取り、自分のお腹に秋良の手のひらをあてた。秋良はその手に温かな真奈美の肌を感じた。柔らかいというよりは、少し張った感じの肌はつるつるしている。あの夜以来、彼女の肌に触れるなんて久しぶりだ。欲望を感じるより先に、彼は癒されていく自分を感じた。しばらくすると、真奈美のお腹の内側からポクンと秋良の手のひらを押すものがあった。秋良は心底驚いた。手を撥ね退けたい衝動をようやく堪え、寝ている振りを続けた。その後2回か3回ポクンを感じたが、やがてその動きもおさまってくると、真奈美は手を離し、秋良の腕の中ですやすやと寝息を立て始めた。
 真奈美と言う女はまったく理解できない。勝手に家に上がり込んできたかと思うと、今度は布団の中にまで潜り込んできた。いったいこの女は、俺をどうしようとしているのか。しかし、理解できないにもかかわらず、ここ迄真奈美を受け入れている自分もまた説明できなかった。はっきり言って人間の腹の中で蠢くものなんて、エイリアンみたいでグロテスクだ。真奈美が自分のベッドで寝息を立てることはまだ受け入れられても、彼女の腹の中のモノまでは到底無理だ。
 そんな秋良の想いに構わず、定期健診の日まで真奈美は彼のベッドに潜り込み続けた。日本での最後の定期健診で赤ちゃんが無事なことが確認できると、真奈美はおとなしくクアラルンプールへ旅立って行った。

 妊娠6カ月(20〜23週)お腹の赤ちゃんの大きさは約30センチ。
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