凪の海
 同研究会は、この断絶を解消するためには『大衆の実感そのものの中に入りこんで行くことに、新しい知識人のあり方を求めるべきた。』と提唱した。「かれらのイメージした大衆」は「マスとしての大衆ではなく、小集団としての大衆」である。そしてその具体的な方針として「大衆ひとりひとりの思想を掘り起こして行く地道な作業」が必要とされた。 
 書いている著者にもさっぱりわからぬ議論に影響を受け、当時京都大学経済学部にいた西村が『文通運動』を起動した。『平凡』誌上の文通欄「お便り交換室」に「西村一雄」名(本名は和義)で投稿。『文通運動』を呼び掛けると、1年間で1150通もの手紙を全国各地はおろか沖縄・ブラジルからも受け取ることになった。このすべての手紙に対してひとりで返事を書くことは不可能であるため、西村は京大や同志社等の学生150人を集め、返事を書く文通運動を展開したのだった。
「手紙を書くとさ、もれなく京都の大学生が返事くれるらしいの。」
「へぇー…それで?」
「この運動に参加しようと先生に相談したら、何人かのグループで文通するならいいって言うのよ。」
「だから?」
「オダチンも、アッチャンも、一応話しに乗ってくれたんだけど…。」
「良かったじゃない。」
「でもみんなが言うには、みっちゃんが参加してくれないとヤダって…。」
「どうして?」
「あなたさ、身体の大きなお兄ちゃん居たわよね。」
「兄貴が何の関係があるの?」
「文通が嫌で辞める時に、もしモメたら頼りになるからじゃない。」
「ちょっと、勘弁してよ!」
「ねっ、お願い。」
「無理よ。手紙書くなんて苦手だし、だいたい手紙書くなんて時間ないし…。」
「ねっ、このとおりだから。」
 アオキャンは額の前で手を合わせる。
「いくら親友のアオキャンのお願いでも、こればっかりは、ダメ!」
「そう…ならバラすわよ。」
「何を?」
「ミミズ事件、あなたの家族にバラすからね。いいの?」
 しまった。墓場まで持っていくはずの秘密を、この親友にだけは喋ってしまったのだ。絶句するミチエ。
「ねえ、いいでしょ。それにエリート大学生と知り合う絶好のチャンスだと思わない?」
 アオキャンはまったく『文通運動』をはき違えている。
< 10 / 185 >

この作品をシェア

pagetop