凪の海
 今日は週に一度の編集会議。同志社大学新聞部の面々は部室に集結していた。しかし時間になっても会議は始まらない。いつものことだが編集長(部長)が遅刻しているのだ。みんなが手持無沙汰にしている中、泰滋は自慢のカメラ磨きに余念が無い。大学生には不釣り合いなカメラだが、さすがひとりっ子の強みであろうか、父が彼に買い与えてくれたものだ。羨ましがった友人たちが、一度持たせてくれと哀願しても、彼は決してこのカメラを触らせない。いつかこのカメラで、社会を動かすような報道写真を取るのが彼の夢なのだ。
 しばらくして、丸メガネの編集長が部室に駆け込んできた。
「すまん、すまん…。」
 彼は韓国生まれ、終戦で家族とともに兵庫県に引き揚げてきて、同志社へ入学して来た。部員たちが一斉に部長をなじる。
「いつも遅刻はいけませんな、編集長。」
「ああ、ホンマにすまん。けど今日は、公務で遅れたから許せ。」
「どないしたんです。」
「今度のコラムのな、原稿作成の件で人文科学の研究室へ寄ったら、これを頼まれた。」
「なんです?手紙ですか?」
「ああ、京大の西村から割り当てられた手紙らしいんやが、研究室もここんところ忙しくて手がつかず、長い間放って置いたんやて。」
「それって、『文通運動』やないですか?」
「そや。ここに4通あるんやが、誰か返事を書こうと思う奴はおるか?」
 部員たちは顔を見合わせた。
「ちょっと待ってください。あの現実も知らない頭でっかちの京大のボンボンの運動に、協力せい言うんですか?」
「悪いか?」
「編集長、新聞部員は真実を伝えるのが本分で、社会運動に参加することじゃないですよ。よう出来んわ。」
「そんなかたいこと言うな。同期の研究員に頼まれた以上、引き受けないわけにはいかないやろが…。さあもう一度聞くで、返事を書こうと言う奴はおれへんのんか?」
 編集長の言葉にも、手を上げる部員等ひとりもいない。
「そうか…残念やな。ほなら別の学友に頼むとするか…。折角女子高生が送ってくれた手紙なんだが…。」
 今度の編集長の言葉に、部員たちの目の色が豹変する。
「編集長。やらせてもらいます。」
 部員たちは争うように編集長が手にしている手紙に群がった。
「ちょっと待ちいな、お前ら『文通運動』の意味はわかってるよな。」
 生唾を飲み込みながらうなずく部員達。
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