凪の海
 しかし昭和24年、ストレプトマイシンが日本に登場し事態が一変する。結核に対するこの薬の効果は驚異的なものであった。登場時には余りにも高価な薬だったので、ごく限られた富裕層にしか処方できなかったのだが、昭和25年に国内生産が開始され、さらに健康保険でも使用できるようになり、多くの人たちがストレプトマイシンの恩恵を受けることになった。
 この薬の流布により結核は徐々に減少することになる。そしてまもなくして、パス、ヒドラジドとの3剤併用も始まり、結核患者は目に見えて減っていった。この昭和25年を境にして、それまで不治の病とされていた結核の予後が大きく変わったのである。このわずか数年の違いによって、結核患者の生死が大きく分かれることになった。
 泰滋が結核を患ったのが、昭和29年。もし5年早く結核を患っていたら、彼の命はなかったのかもしれない。幸い薬のおかげで、彼の容態は良くなったものの、同じような無理をすれば薬の効果も得られない。さらに、京都は湿気の高い地域とされており、結核菌の繁殖を防ぐためには、もっと風通しの良い地で過ごすことが必要だった。泰滋は両親と話し合い、3ヶ月を目安に療養を兼ねて京都から出て暮らすことにした。石津家の遠い親戚を頼り、泰滋はミチエ、ヤスエの手を取って福岡県久留米市へ旅立っていったのだった。

「先輩…やっぱ、もう少し練習してからの方が良かったのでは…」
「これ以上は、いくらやっても同じです。」
「でも…。」
「佑樹さん。もうここまできたのですから、覚悟を決めなさい。」
 離れの床で、おじいちゃんと父親が佑樹たちを待っている。部屋に入る襖越しで、佑樹がもじもじして、部屋に入ろうとしないのだが、汀怜奈はこの期に及んでの、佑樹の弱気を許さなかった。
「おじいさまが起きていられるお時間は限られているのですよ。これ以上時間を無駄にするなら、ハイキックを食らわしてでも…。」
「わっ、わかりましたよ。」
 チンピラを吹き飛ばしたハイキックを見舞われたらたまらない。佑樹は両頬を叩くと、気合を新たにして、襖を開けた。
 おじいちゃんは、床にいて、布団を折りたたんで椅子状態にし、上半身を起こしてふたりを待ち受けていた。どうも半分目を閉じかけている。
「なにやってんだよ。爺ちゃんが待ちくたびれちゃって、寝てしまうぞ。」
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