凪の海
 泰滋はもう一度手紙を読み返した。『想いを察する』ということが美しいとされる京都の風土。悲しいを悲しいと言わず、季語、比喩、婉曲を駆使してそれを表現し、受け取る側はそれを察する。それは平安京の時代から、和歌を、コミュニケーションの道具とした公家たちに育まれた感性だ。逆に言えばそれが解読できない人間は、京都では社交の場から排斥されてきた。そんな京都の風土に浸って育ってきた泰滋にとって、そんなことにこだわらないこの女子高生の素直な感性は新鮮に感じられた。
 京都では野暮ったいと評されることでも、外の社会に通用する自分を確立させるためには、彼女のように、自分の考えや感じている事をストレートに言える感性を持つことが必要なんじゃないだろうか。しかし、京都での生活では、そんな感性を育てるのは難しい…。気楽に自分の気持ちをストレートに発言できる場がなかなかないのだ。ならば、手紙を書くという機会を借りて、実験的にそんな場を設けるのもいいのかもしれない。
 泰滋はペンを取った。もう嘘を書くのはやめよう。好きなことを書けばいいだ。どうせ会う相手でもない。
『前略 宇津木ミチエ様 初めてお便りさせていただきます。今まで文通をされていた進一郎くんに代わりペンを持ちました。実は、進一郎君には許嫁がいて…。』
 泰滋の木製の万年筆は、氷上にあるスケート靴のように、滑らかに便箋の上を舞い始めた。

「上級生ここに来い!」
 空調もない体育館に、竹刀の音とともに監督の怒声が響き渡る。もう1時間以上もバスケットボールを追って走り続けていた上級生達は、汗にまみれ、息を上げながらも全力で監督のもとに集合した。
「そこへ並べ。」
 監督は選手たちを横一列並べると、端から選手の頬に一発づつビンタを食らわした。派手な音が体育館内に響き渡り、選手がコーチの腕力で弾け飛ぶ。
「お前らそんな気の抜けた練習で、インターハイへ行けると思ってるのか。ばかやろう。」
 何と乱暴な指導だろうか。選手の父母と高体連が見たら、この監督とそれを許している校長は、即刻クビだ。しかしこの時代、誰もそんな乱暴な指導を咎める者はいない。
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