凪の海
喜んで然るべきことであるが、実は汀怜奈は、ロドリーゴ氏の自宅を訪問した日以来、心に引っかかるものがあり少しブルーな気分に浸っている。ロドリーゴ氏が言っていた『ヴォイス』がまったく理解できないでいるのだ。面会の後、『ヴォイス』の正体を突きとめるべくエコール・ノルマルに戻り、多くの師に聞いて回ったが、どの答えも汀怜奈にピンと来るものが無かった。スペイン行きの前と後では演奏のクオリティが変わるわけない。それはエコール・ノルマルの師匠たちが保証してくれているのだが、汀怜奈はスペイン行きを境に、自分の演奏が陳腐なものに聞こえてしょうがない。『ヴォイス』の呪いに罹ってしまったようだ。
こんな状態で長期契約などして良いものなのだろうか…。そんな疑問に顔を曇らせながらも、心配はかけまいと、先に英国入りしていた母親とマネージャースタッフの出迎えには笑顔で応じた。
ロンドンのホテルでは、演奏会の仕事で英国に滞在していた日本の師匠に、久しぶりに再会した。その夜は、師匠と母親とともにディナーを取りながら留学生活の逸話など積もる話しに花を咲かせた。ロドリーゴ氏に会いに行ったことはすでに、メールで知らせていたが、ロドリーゴ氏が自分に課したことについては、自分自身での整理が出来ていないので知らせてはいない。思い切って氏から受けた謎の言葉『ヴォイス』について、師匠と母親に切り出してみた。
「うーむ…『死に旅立つものですらその瞳に安らぎの笑みが浮かんでくる。』ね…。」
先達のギタリスタである師匠は、そう言いながら食後のコーヒーを口に含んだ。
「聞きようによっては、薄気味悪い話しですね…。」
もともと声楽家の母も、その意味が解らず眉間にしわを寄せて話しに加わる。
「ロドリーゴさんを目の前にしていたとはいえ、相手はスペイン語です。フランス語に通訳された翻訳語では深い理解に至りません。しかも、ご体調がすぐれない中、理解できるまで質問攻めにしてご迷惑をお掛けするわけにもいきませんでしたし…。」
顔を曇らせる汀怜奈を、隣に座る母親が優しく手握って励ました。
「お相手は汀怜奈の5倍近くも生きていらっしゃる方でしょ。若い汀怜奈が理解できないのもあたりまえじゃない。」
「ですが…。」
汀怜奈の言葉を遮って師匠が口を開く。
こんな状態で長期契約などして良いものなのだろうか…。そんな疑問に顔を曇らせながらも、心配はかけまいと、先に英国入りしていた母親とマネージャースタッフの出迎えには笑顔で応じた。
ロンドンのホテルでは、演奏会の仕事で英国に滞在していた日本の師匠に、久しぶりに再会した。その夜は、師匠と母親とともにディナーを取りながら留学生活の逸話など積もる話しに花を咲かせた。ロドリーゴ氏に会いに行ったことはすでに、メールで知らせていたが、ロドリーゴ氏が自分に課したことについては、自分自身での整理が出来ていないので知らせてはいない。思い切って氏から受けた謎の言葉『ヴォイス』について、師匠と母親に切り出してみた。
「うーむ…『死に旅立つものですらその瞳に安らぎの笑みが浮かんでくる。』ね…。」
先達のギタリスタである師匠は、そう言いながら食後のコーヒーを口に含んだ。
「聞きようによっては、薄気味悪い話しですね…。」
もともと声楽家の母も、その意味が解らず眉間にしわを寄せて話しに加わる。
「ロドリーゴさんを目の前にしていたとはいえ、相手はスペイン語です。フランス語に通訳された翻訳語では深い理解に至りません。しかも、ご体調がすぐれない中、理解できるまで質問攻めにしてご迷惑をお掛けするわけにもいきませんでしたし…。」
顔を曇らせる汀怜奈を、隣に座る母親が優しく手握って励ました。
「お相手は汀怜奈の5倍近くも生きていらっしゃる方でしょ。若い汀怜奈が理解できないのもあたりまえじゃない。」
「ですが…。」
汀怜奈の言葉を遮って師匠が口を開く。