凪の海
 銀座松坂屋へ行ったふたりは、込みあう食堂でようやく席を確保した。今のように4人席やふたり席があるわけではない。大きなテーブルで他のグループとの同席である。席に座るなりメニューも見ずにビーフシチューを注文する泰滋を見て、さすがセレブな同志社の坊ちゃんだとミチエは感心した。彼女は食べ慣れたカレーライスを注文する。

 泰滋は、ビーフシチューをスプーンですくいながら、何か話した方がいいのではないかとは感じていたものの、あらためて聞くようなことが思い当たらない。文通で相手のことはよく知っていた。それよりも、つつましやかにカレーを食べているミチエを見ている方が楽しかった。
 ナプキンペーパーを片手に持って、スプーンを口に運ぶミチエ。その顔を明るい場所で見ると思いのほか肌が白いことが意外だった。そうか、バスケは体育館のスポーツだから日に焼けるようなことはないのか。よく見るとその色白い顔にお化粧している様子はない。19歳の瑞々しい肌に化粧など必要ないのだ。
「何を見ているんですか?」
 突然ミチエに話しかけられて、狼狽する泰滋。知らぬうちに手が止まり、ミチエに見入ってしまっていたようだ。
「えっ…いや…よくそんな大きなスプーンが口に入るなと思って…。」
「いやだ、失礼しちゃう…。」
 笑いながらも、ミチエはスプーンを口に運んだ。そう、食べ盛りのミチエの手を止めるなんて、誰も出来はしない。
「ところで、泰滋さんは、いつもそんな高級なもの食べてるんですか?」
 ミチエがビーフシチューを指し示して言った。
「いや…いつもやないけど、父はシチューが好きで、外食の時はいつもこれや。もっとも父のシチューはタンシチューやけど…。」
 自慢に聞こえたかな…。泰滋はちょっと気にする。
「へぇー、すごいですね。うちなんか千葉の田舎じゃないですか、魚、海老、かに、貝類とか、海産の和食は当たり前にあるんですけど、洋食はなかなかね…。」
 あたし何言ってるんだろう。嫌みに聞こえたかしら。そんなことどうでもいいのに…。
 言葉を発するごとに反省するふたり。文章にすることに比べ、直接の会話のまこと難しいことよ。初めてのデートの緊張感も手伝って、その後のふたりの会話は弾んでいるとは言えなかった。
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