ドナリィンの恋
「日本でお世話になった友達の佑麻よ。マニラに来てお金を取られて困っているの。うちに泊めてあげたいんだけどいいかしら。」
 マムは、佑麻には一瞥くれただけで、その後じっと娘のドナを見つめた。ドナは自分の心の奥底を覗かれているようで、落ち着かない。マムは、ドナの瞳の奥に、小さくではあるがダイヤモンドのように光る決意を認めて、やがて諦めたように、テレビに視線を戻しながら言った。
「お前がそうしたいなら、そうすればいい。ただ、泊まった分だけのお金は入れてもらうよ。それに、そんな汚いままで家に上がるのは勘弁しておくれ。まったく、こんな臭い男を連れてきて…。だから私はお前が日本に行くのを反対したんだ。」
 佑麻は、どういう会話が取り交わされているかわかるべくもなく、それでも何とかコトの展開を探ろうと、意味のない愛想笑いでマムとドナを交互に見返していた。

 どうやらコトは無事治まったらしい。その証拠に佑麻はバスルームにいた。久しぶりのシャワーである。シャワーと言っても、シャワー口から勢いよく水を浴びるものではなく、水道から大きな桶に水をため、手桶で身体に浴びせる方式だ。もちろんお湯が出るなんて習慣はこちらにはないので、冷たい水に身体が慣れるまでは少し時間がかかったが、それでも水を浴びれば生き返った気分になる。やはり生物は水から生まれたのだと実感した。長い間水を出しっぱなしにしていると、ドナがドアを叩いて警告する。『マムに怒られるわよ!』
 薄くはあるが久しぶりに髭をそり、歯を磨く。その時、裸の背に人の気配を感じた。慌てて前を隠して振り向くと、両手で顔を覆った少女が立っていた。彼女が、この家に居候する十一歳のおませなソフィアであることは、このあとの食卓で知ることになる。よく見ると、ソフィアは指の隙間から佑麻を見ていた。
「いい男ねぇ。さすがアテ・ドナが日本から連れてきただけのことはあるわ…。晩ご飯よ。早く来て!」
 タガログ語だが最後の部分だけは、佑麻でも意味が分かった。
 食卓には、マムは同席しなかった。ドナはこの家に一緒に住んでいる妹のミミ、そして先ほどのソフィアを佑麻に紹介する。ミミは人見知りするタイプなのか、佑麻が挨拶しても、挨拶を返してこない。その代わりせっせと家事をして、佑麻のテーブルウエアの準備をしてくれた。
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