ドナリィンの恋
 日曜の朝は、船に乗って運河を渡り川向うの市場へ。市場の肉屋、魚屋、八百屋、いわゆる生鮮品のどの店先にも冷ケースがない。商品は無造作に机に置かれ、ラップもされず外気にさらされて売られている。不衛生な感じはするが、この頃には佑麻も気づき始めていた。各店とも、その日にさばける数しか商品を店先に置かない。多く仕入れて冷凍して保存するとか、解凍して売るとかの技術はないのだ。それはつまり、朝シメた肉、朝獲った魚が店先に並ぶことを意味する。これ以上の新鮮な生鮮品が他にあるだろうか。ハエは飛んできても、生で食べる習慣はないので、新鮮な素材で作ったシニガン(魚介類または肉を具とした酸味のきいたスープ)やアドボ(肉を甘辛く煮た料理)は、当然食卓での絶品の一品となった。
 買い物を終えると、佑麻はギターでも弾きながら、家でドナと一緒にボケっとして過ごし、夕方にはちょっとおめかししてみんなで教会のミサへ行く。ミサが終わった後、教会に集まった友達とおしゃべりするドナ姉妹を残し、佑麻はソフィアと連れだって、生のココナツを売る屋台へ駆け寄りココナツジュースに舌鼓みを打つ。
 今まで石津家という城に守られ暮らしていた佑麻は、初めて石津家以外の人々との生活をここで体験していた。しかも鍵のある部屋があるわけでもなく、家のだれもが自由に素通りする部屋で寝て、食事をする時も必ず誰かと一緒だ。いままで固執していた自分のプライバシーに、いったいどんな価値があったんだろうと、佑麻はあらためて考えた。実際ここでは自分ひとりでは何もできない。『暮らす』ということは、家族と、知人と、そして未知の人々と、触れ合って、関わり合うこと、以外の何ものでもないと実感していた。ドナ以外に知る人のいない異国の地であることが、さらにその感を強くしているのかもしれない。
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