【反省は】玉の輿なのにやらかした件。【していない。】



 婚儀から一ヶ月。久々の着物に袖を通し、そのひやりとした感覚に首をすくめる。

 小袖に袴をつけるところは前回と同じだけれど、そこから重ねる衣は秋の深まりと共により鮮やかな色を選んでくれたみたいだ。はっとするほど鮮やかな蘇芳にやや黄味がかった赤、黄色、浅い黄色、鮮やかな緑、濃い緑と衣を重ねると、その鮮やかさは目を見張るばかりだ。
 着物の着付けが終わると、私はこれで休めるとほっと息をついたが、しかしそれだけでは開放されなかった。
 衣装が終わると、榊さん私の頭の上に紫の小さな座布団のようなものを載せ、その上に冠をのせて赤い紐を顎に食い込むほどきつく結んだ。


「……おもっ……」


 鏡に映る私はまさに幼き日に垣間見た巫女さまそのもので、等身大のお雛様のようだが、しかし……やっている本人は前回に増して着物や冠の重さに体が折れそうになっている。

 私は周りを見回した。

 今日は榊さんも私と同じように小袖に袴、その上に五つ衣を重ねている。役目は私の介添えなので私の衣装よりも色合いは随分地味だが基本は私と同じ。なのに彼女はとても涼しい顔をして私の着付けまでこなしている。
 他にも榊の一族から数人の女性が榊さんと同じような衣装をつけて私の傍についてくれているが、誰一人重いだの首がもげるのといった愚痴はこぼさない。皆さん平気なのかしら。


 今日は朱雀様の祭礼だ。

 北条家で行われる祭祀ではなく、これはこのあたり一帯の祭礼で、よその地域では七五三と呼ばれている行事と、一般的な収穫祭が一緒になったものだ。
 七五三なので、この祭りには一般の子どもが参加する。私自身にも小学生のときに稚児の扮装をしてこの祭礼に参加した記憶がうっすらと残っている。

 日本各地でよくあることだが、こういう秋の収穫祭が終わると次の春先まで暇になるのが農家というもので、この収穫祭は昔から男女の出会いの場にもなっていた。

 昔は独身の男女がこの祭りのときに互いに歌を詠みかわし、互いを気にいった男女が一組、また一組と物陰に消えていく。そして彼らはいつの間にか夫婦になるものだったらしい。
 その習慣はこの地域の産業が農業主体でなくなった今もなんとなく受け継がれ、高校生くらいの若い男女にとっても大きなイベントだ。昔のように祭りの中で歌を詠み交わす習慣はなくなったけれど、それでも互いに誘い合って目一杯おしゃれをしてこの祭りに参加する男女は今でも多い。

 その昔、私も気になる男子を誘ってこの祭りに参加したものだ。
 その時にいい感じだった男子とはいろいろ……本当にいろいろあってもうすっかり疎遠になってしまったが、こういう形で結婚することになってしまった私にとってはあのときのどきどきした気持ちや、その時着ていたワンピースの柄なんかを思い出すと、少し胸の奥が痛くなる。
 あの頃はまさか自分が祭礼行列の先頭で輿に乗ることになるとは思いもしなかった。そして、ただ座っているだけに見えた巫女さまがこれほど辛い思いをしてこの衣装に耐えていたとは想像もしなかった。


 着付けの間中ずっと聞こえていた子どもの泣き声や大人の話し声、無秩序な楽器の音がぴたりとやんだ。

「巫女さま、お輿が参りました」

 榊さんが手を束(つか)ねてそう言い、私は数人の女性たちの助けを借りて立ち上がった。

 他の地域の祭礼では御神輿にはその地域の神様を乗せて町内を練り歩くようだが、この地域では領主であった北条家の巫女さまが乗る。
 巫女さまは実体を持たない神である朱雀の器になるのがこの祭りでの役目であり、そういう役目を担う人を寄坐(よりまし)というらしい。他の地域では世俗の穢れにまみれていない子どもが神輿の上に座る場合もあるようだ。
 私は介添えの人に手を引かれて輿に足をかけ、そしてこっそりと周囲を見回した。

 輿は薄い白布をたらしてあり、向こうから輿の中ははっきりとは見えないが、私からは周囲が良く見える。神輿行列の先頭は馬に乗った狩衣姿の男性数人で、これは矢筒や太刀を身につけている。つまり武装しているのだ。
 その中にひときわ鮮やかな赤の狩衣を身につけた男が居て、それが北条家の当主、景久さんだ。武装していてもどこか物柔らかで品のよいその姿は匂い立つように美しく、武人というよりも千年前の貴公子のようだ。

「巫女さま、どうぞ」

 促され、私ははっと我に返って用意された紫の座布団の上に座った。


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