【反省は】玉の輿なのにやらかした件。【していない。】

 朱雀が……喜んでいる……。

 何を言われたわけではない。彼の表情が変わったわけでもない。けれど巫女と神はどこかで繋がっているのだろうか。私は朱雀が喜んでいるのがわかった。

 景久さんが演武の作法を捨てて本気で彰久と対峙した時、朱雀の歓喜は強まり、痛みを伴う痺れが私の全身を駆け抜けた。
 稚児舞(ちごまい)の奉納のときは現れもしなかったくせに、彰久と景久さんが戦い始めると現れ、そして二人が真正面から退治したときはじめて、これほどの歓喜を示す……。

 朱雀は祟(たた)る。
 北条家に祟る。

 はじめは根拠の無い妄想と軽く聞き流していた彰久の言葉が妙な生々しさをもってよみがえってくる。
 朱雀が北条の家を繁栄させ続けるのは、その中に生まれた人の欲望を刺激して相争わせるためではないのか。

 私がそのことに思い至ったとき、景久さんが大きく踏み込み、そのままでは彰久の薙いだ刃先にからめとられそうになるのを素早く身をかがめて紙一重でかわした。と、同時に彼は彰久の首元に太刀先を突きつける。もしこれが戦場だったならば景久さんはこのまま彰久に馬乗りになり、彼の首をかききっているところだろう。それほどに彼は獰猛で冷酷な目を甥である彰久に向けていた。

 普段はそこか物憂げで怠惰な印象さえある彰久と、理知的で上品な景久さん。その性質は違うものの、二人とも普段は感情の起伏が小さく物静かな様子だ。しかし彼らの腹の底にはこんな荒々しい闘争心と獰猛さが潜んでいたのだ。


 これで、二本目は景久さんが取った……。
 あと一本、どちらかが取れば演武は終了だ。

 もはやどちらが勝ちでもいいので、さっさと終わって欲しい。緊迫した空気に耐えかね、私はそんなことを思った。本当ならば私は嫁として、夫であり北条家当主である景久さんの勝利を祈るべき立場であるというのに。

 景久さんと彰久は互いに引いて体勢を立て直すと、武器を構えて向き合った。双方どちらも譲る気は無いのが伝わってくる。
 そして、私の隣の朱雀はすう、と立ち上がり、私の前にたらしてある御簾に顔を寄せてその戦いの様子に見入っている。

 くそ、祟り神め。

 神様ならこういう時は止めにはいるのがものの道理だと思うのだが、彼はそんな気配は一切見せない。
 私は眉根を寄せて朱雀をにらんだ。
 すると、演武に見入っているものとばかり思っていた朱雀がゆっくりとこちらを向いて、私と朱雀は目があう形となった。

 ぞっと全身が粟立ち、私は朱雀のほうへ目線を向けたことを激しく後悔した。

 朱雀は私を見下ろしながら、にい、と笑った。横顔ではなく真正面から見ると、彼の顔半分、ひどく爛れた皮膚がまともに目にはいる。もしこの時、私の声が私の自由になっていたなら、私は大きな声で悲鳴をあげていたかもしれない。それほどに彼は禍々しい気配を発していたのだ。

 婚儀の朝、初めて彼に出会ったとき、彼は少しも禍々しい様子ではなかった。むしろ薄青い朝の光に溶けてしまいそうなほど清らかで美しい存在だった。それなのに、彼は今、これほどに怖ろしい。今の彼は神というよりは妖怪や鬼に近い存在に思われた。彼が人間よりももっと圧倒的な存在であるのは私の肌が感じていたけれど、とてもこれが神の姿だとは思えない。

 神様、なの……?これが、北条家に繁栄をもたらす神の、姿なの……?

 人の争いを嗅ぎつけて、喜ぶ。
 ううん、嗅ぎつけたんじゃない。もしかしたら、わざと……。


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