【反省は】玉の輿なのにやらかした件。【していない。】
「これ?これをお茶に入れるの?」
朱雀はゆっくりと頷くと、ハーブの中のミントをその長い指先ではじいた。まるで幼児が興味本位であちこち見て回っているような無垢な様子が昼間の彼とは大違いで、まさに別人だ。
私は朱雀が突然気を変えて襲い掛かって気はしないかとびくびくしながら、そっと手を伸ばしてミントをひと房ちぎった。ふわりと清涼感のある香りが舞いたち、朱雀から漂う菊に似た高貴な香りに混ざり合った。
途端に彼は私自体に興味を失ったようで、足音もなく私に背を向けてコンロの並ぶレンガの壁の中に吸い込まれるように消えて行く。
「待って、朱雀様、あなたはなぜ……、」
その背中を追いかけるように問いかけた。もしかしたら声は出ておらず、心の中で叫んだのかもしれなかったけれど、彼は立ち止まることもせず振り返ることもなく消えてしまった。
「……」
私は呆然と彼の消えていった壁を見つめ、ひやりとした木製のスツールに座り込んだ。
朱雀……、消えた……。
幻だったのかと思うほどあっけない消え方だった。
厨房の壁にかけられた大きな時計の秒針の音が妙に大きく感じられた。
「夢、じゃないよね……」
私は震える手でなんとか紅茶を淹れてソーサーにミントを添えると、キッチンを出た。
目には朱雀の姿が焼きついており、まだ心臓がどきどきと激しく鼓動している。
先ほど見た朱雀は、いったい何の目的で私の前に現れたのだろう。ただふらりと現れて私に茶葉の置き場所とミント鉢を示して去っていった。
私はたった一人で、誰も助けるものとて無い状態だったのに、彼は私に危害を加えるようなことはしなかった。そして何よりも……昼間感じたあの狂気を思わせる激しい憎悪など一切感じさせなかった。まるで昼間のことなど一切を忘れてしまったかのようだった。あの無垢な様子を見ると、どうしても彼が祟り神だなどという彰久の言葉が信じられなくなる。
でも、私が昼間首を絞められたのは夢じゃないと思うのよね。だってあの苦しさ。夢ならあんなに苦しいはずがないと思う。
「うーん……」
朱雀の謎は深まるばかりだ。
あれこれと考えながら階段を上りきると、薄暗く長い廊下に点々と置かれた間接照明の回りだけがぼんやりと浮かび上がって見えている。躓(つまず)かないようにそろそろと摺足(すりあし)で歩いていると、突然誰かが私の手をつかんだ。
先ほど朱雀に遭遇したばかりの私は心臓をつかまれたような驚きに、咄嗟には悲鳴もあげられなかった。