【反省は】玉の輿なのにやらかした件。【していない。】
この田舎町には大きな救急病院は二つしかない。
ひとつは県立の総合病院だが、こちらは恒常的な医師不足看護師不足が祟って数年前に大きな医療事故を起こしてしまい、ただいま裁判中。その後やめる人が相次いで、さらに人手不足になり総合病院とは名ばかりの内科だけ病院に成り下がっている。
そして残るひとつは北条グループ病院。こちらは経営のほうもまあ順調で病床数も多い。よって救急患者はこちらに運ばれるのが普通だ。
私は実家に寄って入院に必要な日用品とパートを早退した母を車に乗せてまっすぐにこの北条グループ病院に駆け込んだ。
身内としては弟をまず見舞いたいが、弟の入院と同時に私の元彼も入院しているとあっては、立場上まず元彼を見舞わねばならない。
母は弟の病室に向かわせ、私は元彼が入院しているという病室に走った。
久しぶりに顔を合わせる元彼、巧は右側の目がパンダみたいになっていた。おそらく愚弟晴彦が制裁を加えた結果なのだろう。
巧はすでに彰久からもボッコボコにされていたはずだが、また私を訪ねてくるなんて、よほど学習能力がないと見える。
巧はバンドマンらしいストレートの金髪を元ヤンのおばさんみたいに後ろで一つに縛って、当然だけれどスッピン状態。私が知っていたころのオシャレな彼とは態度も表情もまるで違う。
彼は私が病室にはいる気配を感じると、少し顔を上げた。
そして私の姿を見ると、一瞬口をつぐんで、やがて小さな声で呟いた。
「美穂……お前、きれいになったな……」
彼の第一声は謝罪でも要求でもなく、まずはそれだった。
お金を要求されるのかそれとも復縁要求かと内心ヒヤヒヤしていた私はその一言に毒気を抜かれた形で見舞い客用のスチール椅子に座りこんだ。
「……巧、わざわざ私の実家に来るなんて、思わなかったよ……」
「うん……なんか、いろいろ行き詰っちゃってさ」
巧はベッドの上に座ったまま、じっと床を見つめていた。
その様子はなんとも頼りなく物悲しく、そんな顔を見せられてしまうと私は何も言えなくなってしまう。
目の前にいるのは半年前には結婚を考えていた相手なのだ。私はこの人のために仕事をやめて、そしてこの人が働きやすい職場を作ろうとしていたのだ。
まだ巧のことが好きかといわれると、それは違うといえるけれど、でも、どうしようもない切なさが私を苦しめる。彼と過ごした休日の朝。新しいギターを買うか買わないかで喧嘩になったデート。
すべてがいい思い出ばかりではないのに、それでも私の青春はこの人とあった。あんな形で突然打ち切られた恋の燃えカスが私の心の中にまだ残っていて、ひりひりと痛むのだ。
「……金のこと、悪かったな。お前が被害届を出さなかったこと、あの派手なガキから聞いたよ。後悔したけど……俺、」
「……うん」
巧がおなかの大きな女性と一緒にいた、と彰久から聞いたときから大体の察しはついている。
おおかた巧は何か不満を抱えていたときに私以外の誰かと知り合い、そしてあとのことも何も考えずに新しい恋に逃れたのだろう。
巧は大きなプレッシャーを前にすると、つい自分の中の不安に飲み込まれて、目の前のことから逃避してしまう癖がある。本来は決して無能なほうではないのだけれど、考えすぎて動けなくなって、逃げてしまうのだ。だから何をやっても不戦敗で終わってしまう。
巧のそういう性質はよく飲み込んでいたはずだった。
それなのに私は新しく起業する期待と10年近く打ち込んできた仕事をやめる興奮で少しも巧の不安に気付けなかった。
私のお金を持って逃げたのはもちろん巧が悪いけれど、私が追い込んだ部分もあると思うのだ。
「お前と結婚する資格なんて自分から手放したくせにさ……、俺、やっぱ壁にぶつかるとお前に会いたくなる……。どうしたらいいか、道を示して欲しくなる……」
例え私が道を示しても、それが困難なものだったらやっぱり逃げるくせに、巧はそんなことを言う。巧は尽くしても尽くし甲斐のない人なのだ。
また逃げるだろうことがわかりきっているくせに、私は長年の習い性で尋ねてしまう。
「なにかあったの」
巧は長いため息をついて、それからポツリポツリと語りはじめた。