【反省は】玉の輿なのにやらかした件。【していない。】



 ぼうっとリビングでテレビを見ていると、景久さんが帰ってきた。
 私は反射的に時計に目をやった。
 時刻は丁度九時半。景久さんにしては早い帰宅だ。


「お疲れ様です」

 景久さんはネクタイをほどきながら私の言葉に答える。

「毎日遅くなってすみません。今日は何もお変わりありませんでしたか」

 私は少し考えてから答える。

「何もありませんでした」


 桜子さんのことが私にばれて以降、景久さんは妙に早く帰ってくる。
 だからといって何があるわけでもないので、私達は仮面夫婦の道を着実に歩みつつある。夫婦の会話は一日でほぼこれだけだ。

 別に景久さんに腹を立てているというのではないが、もう桜子さんのことがあってからというもの、何を話してよいものやら、どこまで彼の生活に踏み込んでいいものやら、その距離感を私は見事に見失ってしまった。もう雑談すらこれは話していいのか悪いのか、桜子さんならこういう話はしないのかなど余計なことを意識してしまって自分で自分をがんじがらめにしている。

 軽い事務連絡や挨拶でさえこの調子なので苦しいことこの上ない。自然、私は無口になって沈黙の苦しさに耐えかね逃げるように自室に逃げ込む。おかげさまでここのところ私は早寝早起き奥様になった。健康的だけれど、自宅で忍者のようにこそこそしなきゃならないのは確実に私のストレスになっていると思う。


「美穂さん、もう少しここにいませんか」

「えっ……で、でも」

「その番組、毎週見ているでしょう?僕が帰ったからといって遠慮することはありません」

「い、いやっ、もう今日はいいかなーなんて……」

 いいはずがない。この番組のMCは我が愛するSNAPの三宮君なのだ。でも、景久さんと一緒の気まずい空間で時間を過ごすくらいなら私は三宮くんをあきらめるわっ、だってこんなこともあろうかとちゃんと録画してるもの!!

「どうぞ」

 景久さんはコーヒーテーブルの上に温かい紅茶の入ったマグカップをおいた。これは私が実家から持ちこんだものだ。
 景久さん、私がこれを持ってきたこと、知ってたんだ。
 ちょっと嬉しくなってしまう自分が憎い。この男は自分の好きな女(美人)のために私の人生を……私の人生ををを。

 くそっ、紅茶まで淹れられたら私はしばらくここを動けないじゃないか!!

 私は仕方なくマグカップを手にとって温かいそれを少し口に含んだ。どこで情報を仕入れたのか、茶葉は私の好きなアッサムのロイヤルミルクティで、かすかにブランデーの香りが感じられる。ぴったりと私の好みに合わせたそのチョイスは見事としか言いようがない。気遣いのレベルで言えば最高レベルだ。だがしかし。
 紅茶を淹れてくれたお礼はあえて言わない。今までの私だったら必ずお礼を言っていただろうが、しない。露骨なご機嫌取りに屈するつもりはない。
 
 こっちからは歩み寄らないぞ絶対。だってまた気持ちの距離が縮まると好きになってしまいそうだもの。他に好きな女のいる男を好きになってしまうことほど苦しく屈辱的なことはない。

 まだ少し温度の高い紅茶を急いで口にしていると、喉が焼けるようで苦しいが、その場を早く離れたい私は我慢して二口、三口と紅茶を含む。視線はテレビに固定したままだ。


「美穂さん、この番組、面白いですか」

「……まあ、波はありますけど、大抵の場合は面白いですね」

「そうですか」


 彼は何を思ったのか私の隣に腰掛けてテレビに目を向けた。普段は11時代のニュースを聞きながら他のことをしている程度にしかテレビを見ない彼が、バラエティを見るなんて。
 明日は雪がふるんじゃないだろうか。

 テレビでは全国の手まり歌の方言比較をやっている。お笑い芸人が手まり歌を歌いながら、はずまないボールを何度も観覧客のほうに転がしては笑いをとっている。三宮君がお笑い芸人のボケに突っ込んで観覧客が黄色い声を上げた。
 いつもなら私もここで一緒になってキャーキャーと騒ぐのだが、今日は景久さんが隣にいるのでそれもできない。だまってその手まり歌の方言比較を見ているうちに私は学生時代のコンパを思い出した。

 もう十年以上昔のことだが、私が初めて参加した大学の新歓コンパで、どういう話の流れか、それぞれの出身地と方言の話になった。
 大学に通うため地方から出てきた学生が半数以上の新歓コンパだったので、さまざまな地方の方言がでてきて私はそれを面白く聞いていたのだが、やがてわらべ歌の話になったとき、代表的なものとして女学生の一人が歌ったわらべ歌に衝撃を受けた。

 私の知っているわらべ歌とそれは全く違ったのだ。

 私は驚きのままに自分の知っているものをみんなに歌って聞かせたが、類似の歌は誰も知らず、全国区だと思っていた歌の意外な知名度の低さに驚かされたものだ。


「わらべ歌って地域差がでますよね」

 私がようやく発したその言葉に、景久さんは眉をあげた。

「……そうですね」

「昔、東京に出て間もないころ、私の知っている手まり歌をうたったら、誰もその手まり歌を知らなくて驚いたことがあります。この地方って自分で思うよりもずっと田舎だったんだなってその時痛感しました」

「例えば、どんな歌ですか。僕は手まり歌を歌ったことがありません」


 歌えってか。
 ここで歌を拒否するのもおかしいので、私は昔よく歌った手まり歌を歌い始めた。

「ひとつにけんけん、すーざくさまのおやしろに
 ごりょうさんがつまどいてェ
 むすめはかくせ、よめかくせ
 みさきのむすめのみのおどり
 ほうじょのわかさまふねにのり
 ふだらくむけて こぎいだす
 エーイサエーイサよいさのさ

 ……でしたっけ。本当に一度も聞いたことがないんですか」


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