【反省は】玉の輿なのにやらかした件。【していない。】

 よ、よし。いいんだな?

 私は勇気を出して一つの文箱を選んで紐をほどいた。

 恐る恐る蓋を開けると、中に入っていたのはただの紙ばかり。筆で書いた文字はすべて達筆すぎて何が書いてあるのかはっきりとしない。
 それでも一応一枚一枚ちゃんと目を通していくと、三十八代目北条家当主 北条松寿丸景久と書かれているものが一枚見つかった。

「ほうじょうまつじゅまるかげひさ……?」

 景久さんって名前、二つもあるの?戸籍の名前は景久だったような気がするんだけど。

「景久様の御誓紙(ごせいし)でございますか」

 突然、榊さんが私の後ろから話しかけてきた。

「御誓紙を軽々しくご覧になるのはいけないことではございますが、当代の巫女さまはあまりご熱心な巫女さまではございませんから、御当主様のご決心のほどを知っていただくためにも、いつかはお見せしようと思っていたところでございます」

「榊さん」

「何でございましょう」

「景久さんはまつじゅまるさんって名前なんですか」

「そちらは幼名で『しょうじゅまる』さまとお読みします。
 北条家は昔、男子が育たない時期がございまして、一度お家が断絶したことがございました。その時期にお子様方に縁起のよい幼名をお付けしてご成人のときに新たなお名前に改名することになったのでございます。ですから内々では景久様は松寿丸様というお名前でございましたよ。朱雀様に御誓紙を奉納する際はかつての幼名も添えてお書きになるしきたりでございます」

 ふうん……ややこしいんだな。
 私は、どちらかといえば細く女の筆跡のような景久さんの文字を眺めた。ちゃんと読むことはできないけれど、きれいな字だというのはわかる。


「この御誓紙には妻問いをお受けした巫女さまのお名前も書かれているのでございますよ、ここに、美穂様のお名前がございますでしょう」


 榊さんは私が珍しくこの家のしきたりに興味を示したことが嬉しいのか、いつもよりも優しい口調で教えてくれる。

「本当だ」

「これを見れば代々の巫女さまと婿さまである北条家当主のお名前がわかるということでございます。昔は女性の名前は後世に伝わりにくいものでございましたが、北条家だけはこの御誓紙を見れば代々の巫女さまのお名前が分かるのでございます。有名な大学の先生がこういった古い文献を研究資料にと見にいらっしゃることもあるのでございますよ」


 彼女は誇らしげにそう説明した。


「ふうん……」


 私は束になっている御誓紙を一枚づつめくってゆく。だんだん古くなってゆく紙と、それぞれに筆跡の違う代々の婿様の文字を眺めているのも面白い。最後の一枚、つまり39枚目の御誓紙を見たとき、私の手が止まった。

「いね……?」

 代々の巫女さまの名前を見ていくと、一枚だけかな文字のみの短い名前があった。

「あ、これは……北条家が一度断絶したときの、『雅久さま』のものでございますね。正式なものではございません。
 ここにもう一枚、同じ婿さまのお名前で正式な巫女さまのお名前を記した御誓紙がございますでしょう」


 榊さんはそう言って次の御誓紙を示した。彼女の言うとおり、婿さまが「雅久」で巫女さま、つまり妻問いを受ける妻の名前は『大松城城主 浅野影季女(あさのかげすえのむすめ)松子』となっている。

「この婿さま、雅久さんは二回結婚したんですか」

 榊さんはちょっと困ったような顔をして首を振った。

「一度目の御誓紙は正式なものではございません。つまり、最初のご結婚のいね様はもともとは北条家の下女で水汲みの女だったと伝えられております」

「水汲み……」

「はい。昔は身分違いの結婚は許されるものではございませんでしたので、いねさまは召人(めしうど、めかけ。正式な妻ではない)でございました。一男をあげられましたが、なにしろ母の身分が低いものですから、あとでお入りになった松子様のお生みになった千寿丸時久さまがお跡継ぎと決められたそうでございますよ。
 そのお跡継ぎの時久様も御元服の前にお亡くなりになって、そこで北条家は一度断絶いたしました」

「断絶?でもいねさまの産んだ男の子がいたんでしょう?」

「そのお方のことは記録にはございませんねぇ……。記録にないということはそのお方もご成人なさらなかったか、母方のご身分が低いゆえに跡取りとして認められなかったものでございましょうか」


 なるほど……。身分なんてものがあると惚れたはれただけで結婚できないから大変よね。
 景久さんだってもしこの家の子にうまれなかったら私と出会うこともなく、桜子さんと結婚していたんだろうな……。

 いねさんも、雅久さんの正式な妻となった松子さんも、一体どんな気持ちだったんだろう……。
 私は自分と景久さん、そして桜子さんの関係をいつの間にかこの三人の上に重ね合わせていた。

 朱雀が口にした「いね」は「去ね」ではなく人名の「イネ」だったのね……。

 じゃあ、あのミサキ村に残っていたお社は朱雀さまをまつったものではなくてイネさんを祀ったものだったのかしら。
 イネさんが祀られているとすれば、イネさんはあの村の出身……?

 わからないな。この北条家の本殿でそんなことを調べられるはずもないだろうし、また旧ミサキ村に行って調べなきゃ詳細は分からないのかな。

 朱雀様がまた何かヒントを示してくれないかと顔を上げて周囲を見回したけれど、いつの間にいなくなったのか、すでに朱雀様の姿はそこにはなかった。
また朱雀様が現れたら尋ねてみよう。



< 149 / 164 >

この作品をシェア

pagetop