【反省は】玉の輿なのにやらかした件。【していない。】
驚きのあまり、心臓が変な音を立てて鳴っている。
あれ、昨日の……祐輔の店で奢ってくれた人だ。
彼はここに何をしにきたんだろう、あ、昨夜のお釣りを取りに来たのかな。だって3800円の呑み代に万札を一枚ぽんとおいていったんだものねえ、そりゃおつりがいるわよね。
しかしあの男、どこで私の家を知ったんだろ。店にお釣りを取りにきたあの人に祐輔が漏らしたのだろうか。
全く気の気の利かないスナック経営者だ。私と祐輔は知らない仲じゃないし、店でお釣りを立て替えておいてくれたっていいじゃないの。昔からだけど、あいつは変なところで抜けている。
私は急いで顔を洗い、そして二階に戻って化粧と着替えを済ませて降りてきた。
おつりを取りに来ただけの人を長々と待たせるわけにはいかないので、Gパンとセーターだけの格好だ。
私は財布をもって茶の間に下りていった。
「どうも、昨夜はすいませんでした」
何も悪いことはしていないと思っていたが、よく考えれば、奢るとはいわれたが釣りはとっておけとは言われていない。あまりにも颯爽とあのこきたないスナックを出て行ったので突っ込む暇もなかったが、しかしおつりが遅れたのは完全にこちらのミスだ。申し訳ない。
「いえいえ。随分呑んでいらっしゃったようですが、体調はどうですか」
それを聞いて母が私をにらんだ。
母は私が祐輔のスナックに出入りするのを快くは思っていない。いや、祐輔のスナックだけではなく未婚の女が単独で飲みに出る行為は母の中では『不良のやること』であり、母によると私が30間近になっても嫁にいけないのはこのせいなのだそうだ。
こういう考えの母が、昨夜の私の行動を知ったら激怒するのはわかりきっている。が、母はニコニコと作り笑顔を浮かべて席をはずそうとしない。
「あ、え、その。これ……」
私は彼の前に茶封筒に入れたおつりを出した。
彼は驚いたように眉をあげた。
「これはなんですか」
「おつりです、昨日の。昨夜は、その。ご馳走様でした」
彼は大きな目を見開いてしばらく私を見た後、ふ、と笑った。まるで花が開くような笑みだった。
「必要ありませんよ、そういう話でお邪魔したのではありません」
「へ?でも……そういうわけにはいきませんので」
6200円は大金だ。これだけあればちょっとしたお食事もできるわよ。
私は封筒を取ってぐいぐいと彼の手の中に押し込んだ。
「いえいえ、本当に結構ですから」
彼は私が彼の手を取ってまでおつりを返そうとするとは思わなかったようだ。若干迷惑そうな顔をした。
お金の問題でいい加減なことをするとあとがややこしいし母もうるさい。私は引き下がらず、結局彼の高そうなスーツのポケットに封筒をねじ込むことによりこの押し問答に勝利した。
「で、おつりの件できたんじゃないなら、どういったご用件で……」
私は早速聞いてみた。
彼は少し疲れたような顔をしていたが、そう尋ねられて急にかすかな笑みを浮かべた。これといった理由は無いが、私はなんとなく彼のその笑みは心の底からの笑顔ではないような気がした。
「はい、今日は結婚の申し込みに伺いました」
彼はさらりとそう答える。まるで天気の話でもするかのように何の気負いもなく。
「ああ、結婚ですか、それはそれは……」
愛想よくそう答えてから、私はぴたりと動きを止めた。
茶の間に座っているのは母、私、春彦にかよちゃん。
私は順に彼らの顔を見回してから、ゆっくりと首をかしげた。
結婚。
誰と誰が。