【反省は】玉の輿なのにやらかした件。【していない。】
反省は、していない。
「お帰りなさいませ、奥さま」
有沢さんが久しぶりに北条家に帰ってきた私を出迎えてくれた。
一ヶ月近い入院生活を送っていたので、久しぶりに見る北条屋敷はとても広く感じられる。
「有沢さん、お久しぶりです。あの、お見舞いのお花、ありがとうございました。あんなにたくさんの薔薇をいただいたのは初めてで、本当に嬉しかったです」
「いいえ、無事に退院できてようございました。奥様は従業員一同にとっても大事なお方ですので、退院なさったと言ってもどうかご無理はなさいませんようにお願い申し上げます」
有沢さんはそう言ってにっこりと笑いかけてくれる。
二ヶ月近い入院生活の間、私は以外と自分がこの屋敷に受け入れられていたことを実感した。
私は大事なお方どころか、この屋敷の人々にはお世話になるばかりだったのに、みんながお見舞いといってお菓子やお花、果物などを持ってきてくれた。急に奇声を発したり彰久を殴ったりと旧家の奥様らしくない私だったけれど、手のかかる子ほどかわいいというやつの一種なのだろうか、みんなすごく私を心配してくれた。
「さあ、美穂さん。有沢さんの言うとおりです。移動で少し疲れたでしょうから、自室でゆっくりしてください」
私を病院まで迎えにきてくれた景久さんは、私の入院セットを手にいつになくやさしい口調で言った。
「あ、そのまえに本殿に顔を出してきます」
「美穂さん、調子に乗って動き回ってはいけないと担当医にも言われたでしょう。あなたはすぐ調子に乗るタイプだからと」
私は口を尖らせた。
あの担当医は私のキャラを誤解しているのだ。
そりゃ……入院中、同じ病棟のモラハラ嫁イビリジジイがあまりにも息子のお嫁さんをいじめるから、我慢できずにちょっとだけ……口を出した。
いや、口だけじゃなくて手も出した。
それが取っ組み合いの喧嘩に発展してしまい、入院が長引いたというのはちょっとあったかもしれないけれど、私は全国の嫁イビリに苦しむお嫁さんたちと正義のために戦ったの。私は全然悪くない。日本の治安を守っただけ。それを調子に乗ったとはひどい言い方だ。
景久さんは私がまた暴れることを心配しているのだろうけれど、北条家にはストーカー夫はいるけれどモラハラ嫁イビリジジイなんていないんだから、そうそう取っ組み合いの喧嘩になることはない。だからそんなに口うるさく注意をすることはないし、有沢さんたちの前でわざわざそういうことを言わないで欲しい。奥様としての威厳にかかわる。
「調子に乗っているんじゃありません。入院中、ずっと本殿が気になっていたんです」
景久さんは私の真剣な口調にため息を漏らした。
「仕方がないですね。では行くのはいいですが、僕も一緒に行きます。今のあなたは長い入院生活で完全に退屈しきっているんでしょう」
なんなのその退屈しきっているって言い方。別に私は退屈していたから本殿に行きたいんじゃないっ!
久しぶりに本殿のある敷地内に足を踏み入れると、以前の本殿とは空気が全く違うことに気がついた。
季節が冬から春に移り変わろうとしているということだけではなく、あの冷たくぴんと張り詰めた清浄な空気が全く感じられない。
相変わらずよく手入れされて磨きたてられた建物の中にも、かつての清らかな様子は見られない。ただ、美しく、ただ、穏やかな空間。
すっかりこの場所は変わってしまった。
私は静かな本殿を見回して呟いた。
「朱雀様、やっぱりもうここにはいないんですね」
「そうですね。朱雀はやはりあの時、天に還っていったのでしょう」
景久さんの返答を聞いて、彼ももはや朱雀様の姿を見ることはなくなったのだと実感した。
最初のうちは怖れ、次に不思議に感じ、そして最後はどこか親しみさえ感じていたあの無垢な神はもうここにはいない。ここは神域ではなくなった。
この家にはもう巫女さまも、ミサキ村の血を引く女も必要ない。北条家の男たちは解き放たれたのだ。
「守護してくれる神様がいなくなって、北条グループの経営はどうですか。変わりはありますか」
景久さんはいたずらっぽい表情を浮かべた。
「あなたがそんなことを僕に尋ねるとは思いませんでした。
ええ、経営は安定していますよ。元々僕は兄とは違ってリスクの高いことには手を出さない主義です」
「そうですか。
まあ、景久さんは働き者だしまめだから、その点は安心ですよね」
この家にも景久さん個人にも、もう神様の力は必要ない。そして心臓移植を受けた桜子さんも順調だと聞いている。
そろそろ話を切り出そう。
私は顔が映るほど磨きたてられた廊下を歩きながら、景久さんを振り返った。
春先の少し温かくなった風が、どこからともなく花の香りを運んでくる。
かすかな花の香りに目を細める彼は、姿にも振る舞いにも他の人にはない気品が備わっている。
一年足らずの間だったけれど、この人との間には本当にいろんなことがあった。
この本殿で、私は目の前の男の人の巫女さまになった。
私は立派な人柄なんてものとは無縁だし、嫁としてはなかなかの不良物件だったけれど、景久さんは一度も私を金で買った女だからと侮ったことはなかった。
女として私を愛してくれることはなかったけれど、いつも敬意を持って私を遇し、私を守ってくれていた。
もっとこの人を見ていたい気がするけれど、もう、舞台の幕は下りようとしている。
ここでこの人とはお別れだ。
私は自分のバッグから白い封筒を取り出した。
「景久さん、これ、どうぞ」
彼は少し首を傾げて私の差し出す封筒を受け取った。そしてその中身を検め、大きく目を見開いた。