【反省は】玉の輿なのにやらかした件。【していない。】
「いやーまいった」
私は突然現れた北条景久の釣り書きをコタツの上に投げ出した。
「これっ、あんたは!人様の釣り書きをそんなぞんざいに扱って」
母は私の頭をはたくとその釣り書きをなぜか父の仏壇に供えてちーんとリンを鳴らした。
なぜ釣り書きを仏壇に供えるのか。
春彦は複雑な顔をして座っている。かよちゃんもその隣で黙っている。
そりゃそうよね。私みたいな無職年増小太りのブスにあんないい男が仲人もなくいきなり結婚を申し込んできたんだもの、驚きすぎて何を言っていいかわからなくもなるわ。
東京のそこそこ有名な大学に行ったのが私の取り柄といえばそう言えなくもないが、そんな女はこの地元限定でならば少数派だけれど、決して皆無ではないわけだし、ちょっと都会に出ればそれこそはいて捨てるほどいる。
釣り書きによるとあの男、北条景久はロンドンにある世界的に有名な大学を出て、何年もあちらの企業買収の世界で働いてきたらしい。
企業買収って。そんな世界に身をおいていたのなら、彼の頭の回転は私などかえって馬鹿に見えるほど早いだろうし、ロンドン時代は身の回りにも彼と対等に話のできる女性がたくさんいただろう。だから、今回私にこの話がまわってきたのは私の学歴を買われたということでもないのだろう。
彼は私のどこが気に入って朝から突撃してきたんだろうか。
いくら考えてもさっぱりわからない。
結婚、か。
私はコタツの上に頬杖をついて下唇を突き出した。
北条景久はその姓が示すとおり、このあたりでは知らぬもののない古い家柄の御曹司であるらしい。
と、いっても彼は直系ではなく、現在の北条家当主である北条孝昌(たかまさ)の年の離れた弟である。
北条家は昔、この小さな漁村を含む広い地域一帯の開発領主の家柄だった。
開発領主というのは聞きなれない言葉だが、天平15年に作られた墾田永年私財法ならば、誰しも日本史の授業の最初のほうで耳にしたことがあるはずだ。
奈良時代中期にできたこの法律のおかげで、野山を切り開いて田畑とした人はその土地を所有できるということになった。このときに北条家の始祖が何もなかったこの土地を開墾して自分の土地にした。
ここまでならば「働き者のご先祖ね」ですむ話だが、ここから北条家のサクセスストーリーが始まる。
その辺の開発領主がただそのまま土地を私有していると、その土地をもっと力のある誰かに奪われたり、朝廷から重税を課される。だからそれを避けるために、たいした兵力を持たない開発領主は中央の有力な貴族に領地を荘園として寄進し、有力貴族の土地ってことにして名義を借りて多少の貢物をする。
するとアラ不思議。土地がなぜかあっという間に非課税になって、有力貴族の土地だからと他の誰かに奪われることもなくなる。でも実質的には開発領主がその土地を取り仕切り支配する権限を有していた。
だから、北条家そのものは日本全体で見れば貴族でもなく、それほどの家柄ともいえないのだけれど、この土地限定で考えれば地元に決してやってこない名義だけの荘園領主よりもよほど強い権力を持っていたのだ。つまり北条の当主は代々ずっとこの地域の実質的な領主だったといっていい。
しかも荘園領主は京で行われる政治の内容によってしばしば権力を失ったりするけれど、開発領主である北条家は上が誰に変わろうが、その時々で強いものの下につくことによって、いつもこの地域の領主であり続けた。
地元の歴史家の説によると、北条家は朝廷が成立する前、古代にはこの地域の祭祀をすべて執り行っていたとかいないとか。
そして北条家がすごいのはその歴史の長さだけではない。
明治維新以降、そういった古い家柄が次々時代遅れになっていった過程でも、北条の家はその所有する豊かな山林を利用して炭を作り、全国に出荷して大成功をおさめた。
その後、日本の家庭で炭が使われなくなり、木炭がガスや電気に取って代わられる前に北条家はさっさと事業の方向を変えて百貨店や流通産業に参入。そこでも成功を収めた。
いまや田舎の企業では珍しく健全経営の優良企業となった。……らしい。
長々と説明したけれど、北条家の古い歴史など、私のような昭和をほとんど知らない年代にとってはあまりぴんとくるものではなく、あくまで雑学程度のもの。
若い世代の地元民にとっては北条家が領主の家柄であるということよりも、北条といえば北条スーパーとか北条ショッピングモールだ。
私が高校生のとき、憧れの先輩と初めてデートしたのは北条ショッピングモールだったし、みなも多かれ少なかれそんな思い出をもっている。そして現在でも地元に残っている地元民の多くは漁師や農家になったものを除けばそのほとんどが何らかの形で北条グループで働いている。
つまり、北条家はこの地域一帯の雇用と生活の安定を一手に担っているといっても過言ではない。
今も昔も変わらず北条家はこの地域の実質的な領主なのである。