【反省は】玉の輿なのにやらかした件。【していない。】
「お帰りなさいませ、景久様」
屋敷に入るなりダークスーツに身を包んだ初老の男性が私たちを出迎えて丁寧にお辞儀をした。
とても落ち着いていて上品な男性である。
「ただいま、有沢さん。
美穂さん、彼はこの家の家令で有沢さんといいます。この家の事は僕よりも詳しいかもしれない」
有沢さんはかすかに微笑んだ。
「景久様、ご冗談を。
初めまして、美穂さま。有沢と申します。
この家は女性が少なく、なにかと気の回らぬこともあるかと存じますが、よろしくお願いいたします」
「佐倉美穂です、こちらこそよろしくお願いします」
彼はにっこりと笑って私のコートを受け取った。
景久さんだけではない、有沢さんも私をまるで高貴な女性みたいに扱うんだわ。
当主の妻って……私が想像していた旧家の嫁とは全然違うのね……!
たぶん、旧家の嫁というよりも、私はここの女主人になるんだわ。ああなんてステキなの!
頬が少しずつ緩んでいくのを必死でこらえながら、私はロビーを見回した。
映画のセットのように豪奢で、洋風なのにどこか和風の懐かしさを漂わせた屋敷のしつらえは遠い大正時代のこの家の繁栄を思わせる。
この歴史ある家の女主人。私が。
正直に言うわね。
とっても嬉しいわ、玉の輿だもの。
女の子なのにあまりぱっとしない容姿に生まれついて、学生時代はずっと男子の興味の外にいた私。せめて何か自分の取り柄を磨こうと必死に取り組んだ勉強も結局この地元では評価されず、女の癖に生意気だという評価を下されて終わった。
私はずっとずっとみそっかすだったのに、運命のいたずらでこんなお屋敷の女主人になる。それも有沢さんのような上品な紳士に『美穂さま』なんて呼ばれてかしずかれて暮らすんだわ。まるで夢のよう。
私が求めてきた東京の暮らしや仕事のやりがいはここにはないのかもしれないけれど、これはこれである意味冒険といえるのかもしれない。
私、今はすごくどきどきしてる。親の反対を押し切って東京に出た十年前と同じくらいどきどきしてる。
私ってばまさにシンデレラガールになったのよ。しかも映画や小説によくあるような若い美人が金持ちに見初められたっていう展開じゃなくて、ブスなのに!モテないのに!30なのに!
私は思わずにやりとしてふんぞり返った。
フハハハハ、聞け、私をブスだのがり勉だのと今まで馬鹿にしていたクラスの男子たちよ。人生にはこんな大逆転があるのよ。私はこれからこの地域の名流夫人として幅を利かせることになるわ。学生時代に私に媚を売っておかなかったこと、うんと後悔するがいいわっアーハハハハ!ハハ……ハ。あれ。
その時、ロビーの突き当りに設置された大きな鏡が私の視界に入った。
そこには品のいい有沢さんと、女のように柔和な美貌の景久さん、そして……にやにやと薄ら笑いを浮かべているもっさりしたオバさん。
それを見て私は一瞬にして現実に引き戻された。
ショックだった。
無職になって動かなくなってから、少し……。少しだけボディラインが崩れたなとは思っていたわよ。それに、表情だってなんだか血色が悪くて曇っている。きっと半身浴を怠っているせいだわ。だって実家の風呂は隙間風が寒くて半身浴どころじゃないんだもの。
でも一週間ほど半身浴をサボって、通勤もしないでごろごろしているだけで人間ってこんなにひどくなるものなの?
私は目をそらしてしまいたい気持ちを押さえ、必死になって鏡に視線を戻した。
自宅にいるときは何の違和感もない私だが、映画のセットのようなこの屋敷の中では、私の姿はひどく浮いている。顔、お尻、足……とにかくもっさりしている。
いくら環境が変わったとか精神的なストレスが影響したと言い訳したって、私がもっさりとた田舎のオバサンになってしまったのは事実だわ。目をそらしてはいけない。この豪奢な鏡に映っている自分の姿こそ、他人の目に映っている自分の姿なのよ。
おとぎ話のようなシンデレラストーリーはシンデレラが美人だったから成立したのであって、そこに私を置き換えてもおとぎ話の世界は成立しない。
背が低く小太りで、どことなくもっさりとした私の姿にシンデレラのドレスは似合わない。容姿が悪くともせめて品のよい態度や優美な物腰があればこの屋敷に見劣りしない主人公になれるのかもしれないが、そちら方面も自信はない。
女主人どころか、今の私の姿はこの屋敷にいることさえ不似合いだった。
運命の神は私に舞い上がることを禁じているらしい。
おとぎ話だのシンデレラストーリーだの、夢は短かった。