【反省は】玉の輿なのにやらかした件。【していない。】


 私の記憶が確かならば、当時の彰久はお世辞にもいい生徒といえるようなお子様ではなかった。

 きっとお金持ちのお坊ちゃんとしてわがままいっぱいに育ったのだろう、宿題をやらないのはともかくとして、家庭教師にいたずらをしたり授業の時間になると広大な敷地のどこかに隠れてしまったり、そんなことは日常茶飯事だった。

 私にとっては夏休み、地元に帰っている間だけの短期間のバイトで家庭教師をしているだけのつもりだったから仕事は気楽なものだったけれど、プロ教師の先生はそうではなかった。

 家庭教師の先生はプライドの高い人だったし、実際教師の中ではエースだった。
 だから、彼はちゃんと席につかせることさえ難しい彰久の扱いに毎日いらだったり悩んだりしていた。よほど生徒のことで悩んでいたのだろう、先生が日に日に痩せて行くのが傍目にもよくわかるほどだった。
 そこで筋金入りの悪ガキである彰久を監視、捕獲する人手として私が雇われた。当時ただひたすらに若く体力のあった私が彰久捕獲要員としてバイトすることになったのだ。


 十年前の彰久は……まあ、はっきり言ってしまえばクソガキだったわけだが……、私もまた期間限定の短期バイトということでそれほど仕事に燃えているわけではなかった。

 私は彰久の成績を向上させようとか彰久の学習意欲を向上させようなんてことは微塵も考えていなかった。
 自分の将来の夢が固まれば子どもは自然に必要なことを自分で勉強するようになると自分自身の経験からそう思い込んでいた私は、むしろ家庭教師などというものは親が安心するために雇っているだけのものだと考えて、職務に励むなんてことはなかった。

 悪ガキと不真面目家庭教師。親にとっては悪夢のような組み合わせである。

 彰久はバイト講師の無責任な態度が気に入ったのか、プロ教師には反抗的だったが私にはよく懐いていた。
 私のほうでも懐かれて悪い気はしないもので、弟をかまうように彼をかまい、プロ教師の先生がストレス性の下痢でトイレにこもっている間は二人でよく飛ぶ紙飛行機を作ったり、ペットボトル爆弾を作って庭の池に向かってぶっ放したりしていた。
 
 しかし、そんなおいしいバイトがいつまでも黙認されるはずもなく、私の家庭教師ライフは夏休み半ばで打ち切られてしまった。


「先生、このペットボトル爆弾、とばしてみよう!」

 庭も広いし大丈夫。七歳児にそう説得された二十歳の私は絶対に馬鹿だったと思う。

 結局ペットボトル爆弾は彰久の住んでいた家の二階窓ガラスを突き破った。
 彰久は自分がやったと言い張ったのだけれど、七歳児にかばわれるのはさすがに人としてどうかという部分もあるし、そもそも私はプロの家庭教師がトイレにこもっている間の彰久の監督責任があったわけだ。
 彰久は泣いて嫌がったが、私はペットボトル事件以降はクビになってしまった。ペットボトル爆弾が破壊した高価そうなインテリアを思うとクビ程度で済んでよかったと思っている。


「そうか、彰久はこの家の子だったんだね。
 そういえば姓が『北条』だものね」


 あの当時はさして気にも留めていなかったが、北条家の子どもならば、彰久はこのあたりでは一番のお坊ちゃんだったということになる。
 たしかに、記憶の中にある彼の持ち物や与えられた部屋はどれも小学生には過ぎたものばかりだった。

「あれ、でも彰久、あのころはこの家じゃなくてもっと町中に住んでいたよね」

 彼はうつむいて笑いを漏らした。

「ああ。俺、あのころ俺はすごく悪かったから、北条の分家に預けられていたんだよ。本家に戻ったのは中学生になってから」
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